東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『JR上野駅公園口改札』

6月に入って、天気が良い日が続き、とても心地いい。とあるミーティングというか打合せのようなものがあり、それに参加。いろいろと考える。自分が責任を持って諸々動くのならば、自分がそういう立場で動くしかない。

日中は晴れて心地いい日が続く。木陰に入ると涼しいくらいで、こういう時期は本当に気持ちがいい。で、夜になると少しひんやりする。仕事終わりに職場から駅へ向かう途中で、新しくできたカウンターバーのみのお店ができたのだけど、そこが20時を過ぎても営業をしている。こうなってくると、それも選択の一つだろう。毎年開催される音楽フェスのうち、8月に開催をする告知をしたものがあるらしい。うがった見方をすれば、こういった状況下であれ、オリンピックやパラリンピック期間であれば、緊急事態宣言であっても、ある程度の制約さえ守れば、コンサートなどは上演できると踏んでいる制作さんも多いだろう。

渋谷の街を歩いていると、結構中心街にあっても、閉店している店舗が多いし、そういうのを見ると気持ちも沈む。ゆえあって、平日の渋谷PARCOに入ったけれど、人はそれほど多いとは感じることができなかった。「nisai」というファッションブランドのポップアップを見たいと思って、フラフラと出かけた。良いなぁと思うデザインの服がたくさん展示されている。その後、PARCOの中の「田中商店」でラーメンを食べる。最近、どんなものもラー油をいれて辛みを足してしまう。大丈夫か、自分の胃。

母から電話。「やはり眠れない」という。それで、内科の病院で眠りやすくなるような睡眠薬を処方してもらえるとのこと。そういうこともあり、3日は、仕事帰りに実家へ戻る。

柳美里さんの『JR上野駅公園改札』を読み終わる。とてつもなく気が重くなるが、ここにある現実もまた一つだし、将来的に自分がそういったことになる可能性もあると思うと、なんというか、ますます重くなる。柳美里さん自身のあとがきで、南相馬のラジオ番組に出演している旨を触れていたが、それはいとうせいこうさんの『福島モノローグ』で語れていた南相馬のラジオのことだった。この本が出てから、ある程度の年数が経った今、東京オリンピックを目前にして、ここまで揺れ動いているとは。

22時過ぎくらいに実家に帰ると、母はすでに眠っていた。普段なら起きだしてくるけれど、今日は起きる気配はない。普段よりも眠りが深そうなので、僕もすぐに寝室へ行く。窓を少し開けていると、雨が降り出す音がした。

『病院ばかり』

早朝、まだ暗い時間に母が部屋に来る。胸がバクバクして辛い。話すことも苦しいという。それでいろいろ話したが、救急車を呼んでくれというので、呼ぶ。

住所、年齢、症状を説明し、保険証やお薬手帳などを用意する。思いの外、早く救急車は来く。寝巻きから着替えた母は、救急隊が持ってきてくれた移動用のベットを歩けるからと断ったが、「持ってきたんで」と言われて、仕方がなく横になった。救急車の中でさらに血圧などを測り、引受先の病院が決まったようでそこへ移動。あっという間に病院へ着いたが、まずはPCR検査をしないと入れられないということで、鼻の奥の粘膜を綿棒で取るタイプの検査をする。救急隊の方がしきりに「コウゲンケンサ」というが、最初よくわからなかった。そういう言葉はあるのだろうか。検査を救急車の中で待つ時間がやけに長く、その間に、車内に蚊が1匹入ってきて、それがぶんぶんと飛んでいた。エラーがでてしまい、もう一度検査しますと再び、母の鼻に綿棒を入れていたが、エラーってどういうことなのだろう。それもよくわからない。ようやく検査結果が出て、病院に入れた頃にはすっかり日が上っていた。それでもまだ4時半。ただ、明け方は少しひんやりしていた。

僕は入り口近くのシートで待つようにと言われて、そこでぼーっと待っていた。さすがに頭が回っていない。緊急の方かわからない病院スタッフの方が2枚ほどウロウロしている。朝の4時半に仕事なのだろうか。そうこうしていると救急車の音が聞こえる、もう一人、搬送されてきた。僕よりは若く見える男性の方。呼吸がかなり荒い。付き添いの方はおそらく母親だろうか、年配の女性。男性用のサンダルを持って、シートに座って、どこかへ電話をかけていた。

少し眠れるかと思い目を閉じるけれどさすがに眠れない。と、しばらくしてから母が降りてきた。検査結果の用紙を一枚持っていた。付き添ってきてくれた看護師の方から、受付が閉まっているので、受付の開いてる日中に会計をしにくるように指示を受ける。預かり金として一万円を渡す。つまり、さらに費用が掛かっているのだろうが具体的にいくらかかっているのかわからない。朝6時過ぎくらいだった。病院からタクシーを呼ぶ。タクシーを待ってる間に先程のもう一人の緊急で搬送された男性の身内の方なのか二名、現れて、母親と思われる方と話をしている。

何事もなかったようにタクシーを待つ母と、少しだけ、僕はなんとも言えない気持ちになっていた。

タクシーで家に戻る。本当なら、今日、つまり月曜の朝は、元々予約していた病院の予約があった。心臓のバクバクとは違うものだが、緊急の対応をしてくれた先生にそのことを伝えると、「じゃあ、ご予約があると思うので」とあっさり帰された。9時半までに病院の受付に行けばいいので、まだ少し時間があり、少し休んだら?と母に言ったが、母はもう寝れないというので僕だけ少し寝る。

朝、バスで移動し、予約をしていた病院へ。入り口に入る前に体温を測り、「最近、PCRを受けましたか?」と聞かれたので、「今朝、緊急で病院へ行き、そこで検査を受けた」と話すと、外で待って欲しいと言われて、パイプ椅子を渡されて外で待つ。「うまくいかないね」と母が言う。しばらくしてから病院へ入れて、受付をした。10時から診断のはずが、診断で呼ばれたのは11時半過ぎだった。状況をいろいろ話したのち、軽く手を診たりした後、じゃあ検査するんで、と、血液検査や採尿をするという。同じことを今朝やった旨を伝えて、その数値が書いてある用紙を見せるが、「専門的な分析があるから」と予定通り検査はするという。胸のバクバクがすることについて質問すると、「私は心臓病の専門じゃないので」と言われる。その後、検査をし、また検査結果は来週に報告しますと言われ、受付で会計を待たされて、病院を出たのは13:30。

僕だって、病院にかかることはあるし、頼らなきゃならないことはあるが、病院でできることと出来ないことははっきりとある。そのことをつくづく感じ、僕自身は出来る限り、病院には行きたくないと思う。

申し訳ないが、早朝から終始イライラしていた。万が一を考えれば、本人が希望するわけだし、心臓の鼓動が早いと言うので、救急を呼ばざるえない。その前に、何度か、「本当に呼ぶのか」と確認もした。それでも、最終的には本人の希望だ。他にも、いくつか色々なことで、これはどうか、と、提案するが、自分の気持ちが先に出てくる。それも飲み込むしかないが、その結果が、どうも、良い方向に向かわない。

付き添うことで出来ることは、それほどない。荷物持ったら、話を聞くだけだ。あとは、自分ならこうするが、という提案くらい。

病院が終わり、仕事の打ち合わせなどをする。それから移動し、仕事へ。夏の空のような気持ち良さで、もこもこの入道雲が見えた。天気予報では夕方以降、天気が崩れると言う。本当にそうなのかと不思議に思いつつ、空を見る。

仕事を終えて、閉店間際のドラッグストアで嫁と話をして、「救心」を買って渡してみたらと言われたので、それを買う。ギリギリセーフ。なんやかんや言ってもさすがに心配なので夜、実家へ。相変わらず、母はあまり眠れなそうだが、昨晩よりは落ち着いていると言う。「救心」買ってみたから、もし何か心臓が心配なったら飲んでみたら、と提案する。「飲んだことないから」と言う。まぁ、そりゃそうだろう。本人の気持ちはわかる。ただそこでも、自分の我を通すなら、と、またいろいろと思ってしまう。

どうも良くない。うまくいかない。早めに寝室へ行く。雷が遠くで鳴っていた。雨は降っていたようだけど、さらにもう少し雨が降るようだ。長い一日。

『晴れていたけれども』

日曜。朝、目覚めると晴れて心地が良い。掃除機をかけた後、布団を干す。少しでも太陽のある時は。それにしても、今が梅雨なのか、まだ梅雨に入ってないのかいまいちわからない。

仕事へ向かう。陽射しが気持ち良い。メールのチェックをいろいろして、少し余裕ができたところで路上で少しストレッチをする。陽に当たるのは気持ちが良い。それから仕事。車で移動中、多くの人が外で日曜を過ごしている姿を見る。人のことは言えないが、それにしても緊急事態宣言とは。しかも、それが延長されるとて。

仕事先で、こんなに晴れているのに、天気が崩れるという話を聞く。本当なのか。空はまったく雨が降る気配さえない。で、夕方になり仕事が終わったころ、天気が怪しくなってくる。そこで、嫁さんに布団を早々に取り込んで欲しいと連絡をすると、すでに猛烈なゲリラ豪雨が襲ったらしく、その前に布団をしまったという。渋谷近辺は雨が降ってないのに。局所的な雨。

僕は仕事終わりで、実家へ。あまり実家へ戻れてなかったので、早目に帰ろうと思うが、19時半頃に電車に乗ったとて、実家に着いたのは21時を過ぎていた。母は熱っぽいといって布団に入っていたが、眠れないと言ってちょいちょい起きる。少し気になりつつも、筋トレをしたりゆるりと過ごす。ここ最近、お酒を軽く飲んでも調子が悪くなるので控えていたが、久しぶりにお酒を飲んでみた。案の定、1杯でだいぶ酔いが回る。そろそろ本格的にお酒を控えようかと考える。

『夜は静かに過ぎていく』

母親の心配性が少しずつ過剰になっているように感じてしまう。腰や足の痛み、心臓の鼓動が強い、体調が悪い、そこに夜に眠れないことが輪をかけ、日々、何か不安に感じることが強くなり、まったく関係ないのだけれども体調の悪さから「コロナかもしれない」とさえ気になり、実際に病院で検査を受けたりしている。その結果、陰性ではあったものの、まだ諸々の不安はぬぐえずに、仕事中の携帯に着信があったり、メールが届いたり、僕の返信が遅いと今度は、嫁の方に連絡が行く。

仕事の移動時間に電話をかけて話をしても、結果的に、どこにも着地しない。痛みは仕方がない。それについては本人次第だし、「痛い」と言われれば「無理せずで」としか言えないが、そこから先、どうしたいかは自分次第だ。無理しろとは言わないが、何を提案しても、「でも今は体調がすぐれないから」と言われてしまってはどうしようもない。退院してからすでに5か月が経つ。年齢からすればまだまだ十分元気にいろいろできる歳だ。もちろん父が突然いなくなった心労、孤独は想像を絶するだろうが、だが、それでもないものはない。前を向くしかないわけだし、そのためには、早く元気になってもらわなければならない。

「今日は家に帰ってこれないか」

と仕事先で突然言われても、ままならないことがある。それが息子にできることならば、もちろん行くべきだろうが、だが、そう簡単に行けるものでもない。悩ましい。

今日も今日とて仕事で、いろいろとオンラインで話をする。自分の語りはクドイと思う。それで毎回反省するものの、なかなかうまくいかない。かといって、プレゼン講座みたいなものには行きたいとは思わない。職場の机周りが整理できてなかったので、一気に整理をした。少しすっきり。清々しいが、なぜか僕の机にはいつも書類やいろいろなものが追加追加で置かれていく。

夜、仕事で少し遠出。で、打合せをしつつ、遅い時間に移動。こういうことを言うと失礼な話なのだけれども、田舎の夜は、人が少なく開いているお店も少ない。そうなるとどうしたって夜に人が外に出る機会は減り、なんとなく閑散とした感じになるし、夜はなんとなく早めに休もうかという気になる。東京ではそういうことはないだろうなぁと思ったのだけど、よもや、今、それに近い事態に直面するとは思わなかった。23時を過ぎると、もう、なんだか深夜のような静けさで人もいない。新宿とか繁華街でさえ、そんな感じだ。それで夜の活気が消えていく。もちろん、今は、一応、『緊急事態宣言』下であるのだから、活気がない方がいいのだろうが、結局、日中にこれでもかと大勢の人が出てうろうろしているなら、むしろそっちの方が密度が高くリスクもあるような気がするのだけど。

夜。そんなことを思いながら車を走らせる。見上げると、そこそこ大きい月。『Little parson』のようななんとなく感傷的になってしまいそうな音楽ばかり流してしまった。

少し湿度は高い気がするけれど、蒸し暑さもなく、深く深呼吸をすると、なんだか水分を含んな心地いい香りのする空気を吸い込める。夜は静かに過ぎていく。

『月食は見れなかった』

仕事でいくつか打ち合わせ。思い出話みたいなことをするのはあまり良くないのだけど、長年仕事をしている人たちについてはやはり思い入れがある。一期一会というほどではないが、離れる人もいるとはいえ、それでも仲違いをしたわけではない。入れ替わりの多い中で、それでも何かしら続いてもらえたらと願うし、こちらもこちらでいろいろと頑張り、また、どこかの仕事先で会えればと願うばかりだ。そのためには、自分も頑張らねばならない。

日中はバタバタと移動。電車を使うとはいえ、歩くことも多いと、やけに疲れる。

夜、仕事を終えて、家に帰り、荷物を置いてから皆既月食を見に近くの公園へ。たくさん人がいた。自分もそうなので何も言えないが、緊急事態宣言とは。自分の住んでいる地域は曇ってあまり見えず、子供たちは公園の遊具で遊んだり、カエルを見つけたと言って楽しそうに遊んでいた。大人にとっては見えたか見えないが重要かもしれないが、子供にとっては、自分のいる場所でどういうことができるかの方が楽しいのだろう。娘と公園内を走ったりした。そして、そして娘が鉄棒をしたところ、驚いたことに逆上がりができなくなっていた。「できなくってるじゃん」と聞くと、「そうね」と気にしない風。

結果、部分日食しているところをうっすら見ることができたが、まぁ、それはそれ。

家に帰り、筋トレをして一息。引き続き、腰が痛い。

『腰が痛い』

日曜の朝に、実家のテレビを動かしたときに、腰を少しやってしまい、そこから腰が痛い。姿勢が悪いと如実に痛みがくる。ダメだなぁ、腰を痛めると途端に集中力が落ちる。

アーティストのCoccoさんのインタビュー記事(https://news.yahoo.co.jp/articles/664f61b25492e5e113d35e3c0eb45c7592d4dc12)がとても良い。携帯をお持ちではなく、必要ならば手紙を書くというスタンス。息子さんに会いたいと思ったら、手紙を書いたら、歌を唄ったり、山に登るという。

不安を一人で処理する力も、今はみんななくしてしまっていて、相手をつかまえて具体的に何かしらの返事を得られないと、不安でしょうがないという状態がすごく多い気がする。

携帯にしても、SNSにしても、個人への発信となると、返事がある前提になってしまう。もちろん仕事であれば確認ごとは必要だし、直接話すことができないならば、メールやラインで確認する、なんていうのも便利ではあると思うけれど、仕事以外のコミュニケーションにまで、返信が前提のやりとりはなくていいのかもしれない。とはいいつつも、とかく人は繋がりたい存在だし、僕もその部分はあるので、なかなか拒否はできないけれど。とはいえ、このCoccoさんの考えはかなり共感する。

コミュニケーションの難しさ。とある著名な方は、メールのレスポンスが早いという。仕事のやり方の一つとして「なるほど」と思う。が、あらゆることに正解なのかはわからない。一方で、とある方は、電話をするというの双方の時間を費やすことだから、電話をするということでさえ、事前にアポをラインか何かで取るべきだ、という主張をされていた方のネット記事を読んだこともあるが、そういうことさえ考える人もいるのだと驚く。

対話以外は便利な一つでしかない。その便利を使うかどうかは自分次第で、それが伝わるかどうかも、自分の伝え方なのだろう。

腰が痛いと、布団を干すことさえも億劫になる。が、昨日は快晴だったので、これは干しておきたいと布団を干した。そういうわけでホカホカの布団になった。しばらくずっと天気が悪かったので、陽射しがとても貴重だ。

筋トレをするのも腰が痛くてセーブしてしまう。何事も腰だ。腰が肝心だとつくづく思う。

『こことここではないどこかと』

朝、母に起こされて8時半ごろ目覚める。昨晩というか早朝の深刻な感じはどこへやらで、すっかり元気になった母は、ケロッとしている。ホッとするが、こういうことが今後も続くのだろうということはある程度、意識していなければならない。

母の希望で、古くなったテレビを、新しいものに買い替えた。午前中に新しいテレビが届く。購入した電気屋の配送の人ではなく、宅配の方が持ってきてくれた。古いテレビを持っていったり、接続作業をしてもらえるか確認してみたが、案の定、そういうことはしないという。で、僕が接続作業をする。説明書をみればなんとかなる。B-CASカードというものが結局のところなんなのか、はっきりわかっているわけではないが、とりあえず説明書に従い、設定をして、テレビが観れるようになった。母の要望でワンサイズ小さいテレビを買ったのだが、「小さい見づらい」と不満を言う。無視する。で、古いテレビを回収してもらうため、家電屋の問い合わせセンターに尋ねたところ、うちが購入したサイズのテレビは、ちょうど、配送サービスが適用されないサイズだったのだという。それはそれでいいが、そんなことは事前には一つも書いてなかった。で、改めて古いテレビの回収をお願いする。電話やネット一つで手続きができるのは便利かもしれないが、結局、店頭で買うのとどっちが楽なのか良くわからない。

一息ついてから、母と買い物に行く。午前中だというのにスーパーはやけに混んでいる。昼ご飯も一緒に買うということで、僕は弁当を買い、母は焼きそばに、おいなりさん、団子を買っていた。そんなに食べるのか、まぁ、食べるのは良いことだと思いつつ。が、家に帰ってご飯を食べると、「お腹いっぱい」と言って焼きそば半分も食べずに残して、「おいなりさんと団子食べて」と言ってくる。なぜ、買った、母よ。

その後、少しテレビを観る。NHKBSの番組で、街頭インタビューを街中でするという番組。旦那さんが定年間際に癌が見つかり、亡くなってしまった方のインタビュー。まだ58歳でお亡くなりになってしまったという。こういう番組を観ると、どうしても父と比べるようになってしまった。その後、チベットの山岳に暮らす遊牧民の人たちが、伝統的な絵を学ぶことで生計を立てようとするドキュメンタリーを観る。貧しい遊牧の生活から脱するため、画を学ぶ若者たちの姿。「この生活を抜け出して、家族を楽にさせたい」と語るその人たちの姿を見ていると、なんだかやりきれない思いになる。自分の生活と同じ尺度でその人の人生を測ることはできないが、生まれの違いによって、僕と、その人が違う生き方をしていることの、その「たまたま」に途方にくれる。それとは別で、画を描くことに関して、画を教える僧侶の方の言葉が良かった。

「すべては線に宿る。線にこそ、美しさがある」。

それから、家を出る。日中の母は元気だ。「ありがとね」と玄関で見送ってくれた時は、いつもと変わらない。が、夜になるとどうなのか。

日曜はとても気持ちがよくて快晴だった。汗ばむくらい。だけど、気持ちが良い。夜に打合せがあったけど、少しだけ時間があったので、公園のような場所で少し小説の続きを読む。『JR上野駅公園口』。その主人公の生活と、58歳で癌で無くなった会社員の方と、チベットの若者の姿がなぜか重なる。癌で無くなった方は、延命することを希望せず、自宅での最期を希望したらしい。最後まで弱音を言うことなかったという、自分はそんな風にできるだろうか。チベットの若者は、遊牧民の生活をする家族が嫌で、友人たちと遊ぶ日々を送っていたという。それが絵を描くことに出会い、線に想いをこめる日々を過ごしている。

本を読んでいる横で、カップルが楽しそうに話をしていた。星野源さんと新垣結衣さんの結婚についておしゃべりをしていた。僕の前を通り過ぎた家族連れがいた。赤ちゃんを抱っこしていた女性が、「かわって」とおそらく父親であろう年配の男性に赤ちゃんを委ねた。年配の男性はその赤ちゃんを大事そうに抱っこした。「8.6あるから」と女性は言った。

風が吹いて心地いい。梅雨入り前のまだ蒸し暑さもない一日。ただ、自分の中でいろいろなことがぐるぐると巡る。小説に影響をされているのだと思うが、どこか息苦しさがある。

夜、家に帰り、筋トレをしたりストレッチをする。それで一息ついたら、いつの間にかまた眠ってしまっていた。