東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『佐渡へ行く』

61日。とある仕事で新幹線に乗り新潟へ。久しぶりに新潟へ行くが、車窓からの風景が緑色が多めで気持ちが良い。が、やらなくてはいけないメール作業に追われて車窓の風景も見れずで辟易する。

 

新潟駅に着いて、そこから車で移動し佐渡汽船の乗り場へ。そこからジェットフォイルというものに乗る。デッキの上で外を眺められるのかと思いきや、時速80キロで走る高速船でシートベルトをしなければならないという代物だった。残念。とてつもないエンジン音を立てながら高速で移動する船に揺られ60分。佐渡へ到着。

 

車でホテルのある場所へ移動。両津港という港町から内陸へ。水田地域が拡がる。失礼な発言だけど佐渡は思ったよりも広く、地域ごとに違う見え方をする。聞いたところによると、朱鷺は300羽強いて、野生に暮らすものは夕方ぐらいに見ることができるらしい。地元の人は結構見ると言う。少しずつだけどそうやって朱鷺が暮らせる環境が戻っているということなのだろう。この日は移動だけだったのでのんびりする予定だったけど、ホテルに『宵の舞』という祭りのポスターが貼ってあり、それがちょうど僕たちが来ていた6/12だったのでせっかくだからということで出掛けてみる。19時過ぎに車で移動。まだ陽がギリギリ残っていて空をオレンジ色にしている。東京ではわからないけれど、陽が長くなっているのだぁと思いながら車を走らせる。祭りのある相川町まで30分くらい。わりと高低差のある山道を抜けると高台から見下ろせる海沿いの町へでる。そこが相川町。金銀が取れた山の上の神社から、佐渡奉行所まで、町中を相川音頭という踊りをしながら行列が練り歩く祭り。相川の町は金銀が取れたことや、島流しの場所として京や大阪などとの交流があったようで建物や街並みも他の水田地域の作りとは違う。細い坂の路地である京町通りは歩くだけでもなんだか楽しく、街灯とうっすら光る雪洞の中、三味線と唄に乗せてゆっくりと踊り歩く傘を被った人たち。淡々としたその行列は静かに進んでいき、いわゆる賑やかな祭りとは異なる雰囲気。時間がそんなにあったわけではないので、たくさん歩いたり見ていたわけではないけれど、意外と山が多い佐渡は、それぞれの地域の交流はむしろ海からの行き来だったらしい。海沿いで暮らす町同士は、ある意味ではライバルで、嫁をもらう場合も内陸の稲作地域からや少し離れた集落からもらうなどしていたという。金銀が取れる山がある地域は他の地域との海運も盛んで、ある意味では潤っていたのだろうと想像する。島流しでやってくる人たちも多かったと思うが、てっきり何もない大変な暮らしなのだろうと思ったが、6月のこの季節は過ごしやすく、静かで心地いい時間が流れている。

 

相川音頭とその合いの手を聴きながら、なんだか本当に不思議な穏やかな時間を過ごした。奉行所に着くと、踊りは静かに終わり、祭りもなんとなく終わりを迎える。その町を後にして車でホテルへ戻ったのは21時過ぎだったと思うけど、あまりにも静かでもう深夜みたいな気になる。風はまだ冷たくて上着を持ってきて正解だった。見上げる空の星は綺麗だった。

 

翌日は仕事でとくに身動きが取れず。少しだけ両津港のあたりをぼんやりと眺めていると、釣りをしながら横になっている人がいる。空はどこまでも広くて、飛行機雲がたくさん見えた。あれは何が作り出した雲だったのだろう。

 

夕方のジェットフォイルで帰路へ。ジェットフォイルはけたたましい音を立てて急ぎ足で新潟港へ。港に着く頃、ちょうど日が暮れる時間で、夕日がとてもきれいだった。観光の方も多いが、佐渡ー新潟間を当たり前のように行き来している人も多いようで、彼等はそんな夕日には興味も示さず、眩しいからカーテンを締めていたりする。彼らにとってはこのフェリーでの移動は日常の一つ。そういう中に自分が少しだけいること。特別な場所に行くということではなく、こういう日常を目撃出来ることが旅の楽しみだと実感する。

 

初めての佐渡はとても楽しかった。

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