東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『不思議と暖かかった年の暮れ』

日中は不思議なほど暖かかった。ニュースだと18℃くらいまであがったというけれど、そこまでではないと思ったのは、風が強かったからかもしれない。とはいえ、上着もいらないんじゃないかと思えるほど陽射しが心地よかった。

布団を干した時、ベランダの窓を少しだけ開けっ放しにしていた。猫たちがベランダを出入りする。陽射しのある場所でのんびりくつろいでいる。普段は外に逃げないように窓は閉めているのだけど、今日くらいは良いかなぁと。

昨夜は、いくつか仕事をしたあと、映画を観に行こうと渋谷にでかけた。アップリンクで『お嬢ちゃん』という映画を観ようと思ったのだけど、売り切れて観れなかった。茫然としつつ、仕方がないので、喫茶店で仕事をしたり、本を読んだり。30日の渋谷はまだ人もいて賑やかだった。

それから帰宅して、なんとなく映画を観る。『髪結いの亭主』。久しぶりに観た。

髪に触れること/触れられること自体に性的な悦びがあると思う。髪を洗う時に触れる胸の感触。鋏の音。女性店主の体臭。具体的な感覚に悦びを感じた幼少の記憶に具体的な形を求めた結果、色彩豊かな情熱の女性と場所に辿り着く。とてつもなく無垢な、変わらぬ想いを抱いた男は、幼少の頃と同じように、自己流の踊りに興じる。その踊りを女性は笑顔で受け入れる。悲劇は唐突に訪れる。男のその変わらなさにさえ(変わらなさゆえなのか)、不安を抱き、変わるかもしれない未来に耐えきれずに女性は自死を選ぶ。その唐突さには言葉も出ない。悲しむことさえできずにそこに居続ける男のやり切れなさはどれほどのものなのか。最後にもう一度、音楽に乗せて踊る場面がある。自由に踊ろうとするところに、「こうやるんだ」と踊りを教えてくれる善意の他人が出現するが、突如、男は音楽を止めて踊ることを止める。決められた踊りを踊りたいわけではないし、自分で考えた奇妙な踊りを笑顔で受け入れてくれた女性もいなくなってしまった。最後の「妻が戻ってくる」という台詞。願望とも、戯言とも、虚言とも、どれとも違い、どれからも遠い意味合いに感じる台詞だけが残り、映画は静かに終わる

映画を終えて、テレビに切り替えたとき、たまたま『殺人の追憶』が放送されていて、なんとなくそれも観てしまった。気が付いたら明け方の4時。それから布団に潜り込む。

晦日は少しばかり車を使った仕事があり、都内を走る。さすがにどこもかしこも空いている。東京はもちろん住宅街もあるが、オフィス街は人通りもまばら。表参道あたりはにぎわっていたけれど。

実は、今年は前厄と呼ばれる歳だった。あまりそういった類のことは気にしないのだけど、今年に関しては、なにやらいろいろなことがおこり、自分でも飲み込み切れないことが多く、これが前厄だとしたら、本厄の年はどうなるのだろうと少しばかり心配になる部分がある。なんにしても歳を重ねる。それだけで健康面も気にしなければならないだろうし。僕よりも若い方がお亡くなりになってびっくりしたこともあった。今日は暖かかったけれど、気温差があると、なんだかもう、それだけで身体がしんどくなるし。どうなるのかよくわからない。

奥山和由さんの『黙示録』の面白さ、覚悟の持ち方に刺激を受けている。ともかく自分にもそういう気持ちで日々を過ごさねばなるまいという思いも、ある。

とにもかくにも、なんやかんやと、今年が終わる。