東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『青春デンデケデケデケ』

目が覚めたら10時を過ぎていた。堕落した日曜の始まり。良くないと思いつつ、爆睡してしまった。曇り空。休みの日に天気が悪いと残念な気持ちになる。昨日に引き続き、ガレージの整理。ガレージの置いてある本の整理。保管状態が悪く、少しダメになってしまった本は、潔く処分することに。後ろ髪を引かれる気持ちはかなりある。服なども思い入れがあるものは捨てにくいが、服以上に、本はどうも捨てにくい。だが、ここはきっぱり。ついでに、ロラン・バルトの『記号の国』や、蓮実重彦さんの『スポーツ非常宣言あるいは運動の擁護』など改めて読みたい本も発掘。そんなこんなで冷え込んでくるさなか、ガレージの整理もだいぶ進み、いったん終了。

午後は、家の中で少しばかり読書。大林宣彦さんがお亡くなりになり、映画でもという気もしたのだけれど、家の本棚にあった『青春デンデケデケデケ』の小説を読むことにする。大林監督の映画作品の中で、どれが好きと言われるとこの『青春デンデケデケデケ』だと思う。なんのきっかけで観たのか覚えていない。おそらくDVDをレンタルしたと思う。四国の方言もあるし、基本的に映画の台詞は、テレビスピーカーで聞くにはどうも聞き取りにくい。環境音とのバランスをとる際に、台詞を聞き取れるレベルにしてあまり立てないと、映画館のスピーカーで聞く分には、それはそれで空気感なども感じることができるのだろうけれど、テレビスピーカーだと聞き取りにくい。特に『青春デンデケデケデケ』は聞き取りにくく、僕の記憶では、ラスト近くの主人公が東京に受験勉強に行くときに、バンドメンバーが集まって送りだすところ以外は、なんだかほぼ台詞が聞き取れなかったような気がする。それでもなんだか音楽に打ち込む地方都市の若者たちの日常をそのまま切り取ったような雰囲気(もちろん、なんというかちょっと照れ臭くなるような大林節のタッチはありつつも)が個人的には好きだった。

音楽、恋、性的な興味、バイト、合宿、出会い、別れ、ちょっとは勉強。主人公たちのバンドは、日々練習しつつも、学園祭でライブをして、静かにその活動を閉じる。大げさなドラマはなく、地方都市の日常の断片を描くような物語は、だけど、そうだからこそ、なんだかいとおしいほどの気持ちになる。

文庫版の解説を大林宣彦監督が書いている。それで初めて知ったけれど、原作の空気感を大切にするため、手持ちカメラ、照明もつくらず、大人の俳優たちもリハーサル無しで、一発撮りで撮影に臨んだのだという。物語は当然あるし、筋もある。だけど、そこで切り取ろうとした空気感は、筋だったものではなく、その町の、その時間の、そこにいる人たちが作り出す何かが作るのだと思う。台詞が聞き取れなかろうが、そういった空気感が映画を成立させていて、そういったものがなんだかグッとくるのかもしれない。

青春とは、重たいものである。あまりに重過ぎて、傍目には滑稽で愚かしくも見える事どもを、ついつい繰り返し仕出かしてしまう。もし、ぼくらが大人になることに意味があるとするなら、あの不器用だった青春の鬱屈した想いを、遠い時間の向うに濾過し、少しはより軽やかに、より伝え易く、より上手に自己表現してみせる、そういう機会を、人生の中でもう一度与えられる、その事の至福をこそいうのだろう。

巻末の解説の大林宣彦さんの言葉。歳を重ねても、気恥ずかしいほどの大林宣彦の画を徹底的に撮り続けて、迷うことなくはっきりと映画愛を語る大林さんは、このご自身の言葉を最後までやり続けていたように思う。

あっという間に読み終えて、一息ついて、それでもまだ夜の23時になってなかったので、なんとなく、ブルーレイを漁り、『ガープの世界』を観る。なんでそれを選んだのかよくわからなかったけれど、『青春デンデケデケデケ』の中で、ビートルズに触れる描写があり、それでビートルズの楽曲を聴きながら小説を読んでいたせいかもしれない。『ガープの世界』の主題歌はビートルズの『ホエン・アイム・シックスティー・フォー』。まぁ、偶然なのだけど。気が付けば雨が降り出していた。