東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『また突然のことが起こり』

連休の最終日、夕方に実家に行った。兄も単身赴任先へ戻る日だったし、僕も翌日からは仕事だったけれど、少しだけでも一人の時間の前に、と思い、その日は実家に泊り、翌日は実家から出社することにした。

 

その日の夜は、普段通り過ごして、母親も早々に休み、僕も仕事をしたり、ぼんやりしてから眠った。翌朝、少し肌寒さとトイレに行きたくて朝5時半過ぎくらいに目覚めた。まだ早すぎて、トイレに行ったらもうひと眠りしようと思ったのだけど、階下に降りると母が起きて、リビングに座っていた。いつもに比べると少しだけ深刻な顔をしている。「今日、仕事だよね」と聞かれたので、そうだとこたえると、さっきトイレに行きたくてトイレに入ったあと、そのまま少し倒れて起きれなかったのだという。少し調子が悪いらしく、いつもに比べても弱気だった。ただ、その後、血圧を測りいつもと変わらない計測結果が出たら、母もホッとしたことと、行こうと思っていた脳神経外科がその日は休診日で、「ま、明日行けばいいか」という気持ちが母にも出てきて、僕も職場に向かった。

 

その日の仕事が20時過ぎくらいに終わり、その日は自分の家に帰ろうと思ったけれど、一応、母に電話をかけて様子を見ておこうと電話をかけた。家の電話にかけたがいくら鳴らしても母が出ない。それで母の携帯にかけたがそれも出ない。お風呂にでも入っているかと思って、少し経ってからもう一度かけたけれど、それでも出ない。その後、少し間隔をあけてなんどかかけなおしても一向にかからない。母とは電話以外で連絡を取る手段がない。日頃の母の生活習慣を知っているわけではなかったし、もう寝てしまっている可能性も大いにある。友人と外食をしているかもしれない。実家の鍵も持ってないし、場合によっては家に入れない可能性もある。とはいえ、なんとなく気になり、実家に帰ることにした。兄にも連絡をして、僕が電車に乗っている間、電話をかけてもらうことにしたが、兄の電話にもでない。

 

地元の駅から急ごうと思い、タクシーに乗った。杞憂で終わるならたいしたことではない。笑い話の方がいい。家の前に着いたが、家は電気も付いておらず真っ暗。寝ている可能性も十分にある。鍵が開かなければどうすると思い、ドアを開けると、扉があいた。真っ暗な室内。ただ、真っ暗な中で、玄関先で動く姿がある。母が玄関先、階段の下で倒れていた。電気をつけると、母が言葉もなくもぞもぞと動く。呼びかけにも応じない。目は開いていて、こちらを見るのだけど、僕のことをきちんと理解していないような動きで、しきりに髪をかきあげる動作をする。よく見ると、床に髪の毛がたくさん落ちている。その動作を繰り返したことで抜けたのかもしれない。「お母さん、大丈夫?」と何度、呼びかけても反応しない。母の近くにはなぜか敷布団がある。階段下。考えうるのは、布団を持って階段をのぼろうとした、もしくは降りようとして、階段から落ちたのか。そして、なぜか少しズボンがずれており、ズボンに触れると濡れていた。電気が付いてないということは、いつからこのような状態だったのか。ひとまずズボンを履き替えようと動かすと「痛い」とだけ言う。ただ、その言葉遣いも、どこかいつもの母とは違い、なんというか、変にだみ声で、やけに歳をとった人の声のように聞える。そして、左手は硬直しているように動かない。それで、ひとまず救急車を呼ぶ。電話口でいろいろと聞かれるが、僕も事情がわからない。

 

しばらくして、救急隊員の人がきてくれて、事情を説明するように言われて、できる限りを伝える。「保険証はあるか」「日々、飲んでいた薬はあるか」「アレルギーはあるか」「持病はあるか」「過去に手術をした経験はあるか」「かかりつけの病院はあるか」。いろいろと問われるものの、ほとんどに正確に答えられない。ひとまず、一緒に救急車に乗るようにと指示を受ける。とりあえず少しだけ着替えなどを持つ。それでいいのか、他に必要なものがあるのか、それさえもわからない。実家の鍵のありかさえわからないので、鍵もかけれずに家を出る。

 

触診や、母の財布に入っていた病院の診察券から母の容態などを推測し、脳に関する専門医がいる急患に運ぶ必要があるようで、結果的に家に近くではなく、少し離れた病院へ行く、ということになった。窓もない救急車ではどんな道を走っているのかも判断がつかない。すでに23時をまわっていたので、道路は比較的すいているのか、救急車は少しばかり速いスピードで進むので、ベッドに寝かされている母がカーブなどで姿勢を崩し、ベッドから転げ落ちそうになる。ベッドの近くにいた救急隊員さんが「ブレーキ、もう少し丁寧に」と運転する人に言う。

 

しばらくすると、病院に着き、母は診察室へ運ばれる。僕はその間、待合室で待たされる。つい先日、同じようなことを父親で経験したばかりで、わずか一週間ほどでまた経験するとは思いもよらなかった。待合室にはもう1人、年配の男性がいた。受付で病院の駐車代がいくらぐらいかかるのかを聞いていた。金額が思いのほか安かったのか「安いね」と談笑していた。それから看護士さんに呼ばれて、診察室へ入ると、検査をしてくれた先生から症状を説明される。両側慢性硬膜下血腫であるという。脳に血液がたまり、脳を圧迫しているという。特に右側の圧迫がひどいため、右側の脳が司る左側に軽い麻痺がでているという。その血液を抜くための手術が必要とのこと。30分ほどの手術らしい。いずれにしても何かをしてもらわなければならなかったし、それをお願いした。それから心配をしていた兄に連絡をする。すでに時間は深夜1時半をまわっていた。台風がくる予定の前日だったけど、雨は止んでいて、外はひんやりとしていた。病院は時々、人の出入りがあった。先生や看護士さんがシフトなどで出入りするのか。

 

それからしばらく、待合室で待っていたけど、さすがに眠気もある。朝5時半ごろ起きて、そのまま母と話して会社にでかけていたことを思い出す。いろいろな書類を渡される。手術の同意書や、入院に必要な手続きがかかれた書類。いくつか急ぎで書かなければならない書類を書く。

 

手術が終わって、母が運ばれてきた。母は眠っていた。様子としては落ち着いているようで、少しほっとした。手術後、また先生によばれて、説明を受ける。おそらくひと月ほど前に頭を打っただろうと言われた。心当たりがあるか、と聞かれたけれど、ひと月前のことはわからない。実家にさえいなかった。今回、階段から落ちたときにも頭も打っているし、その落ちた勢いでいくつか骨折もしていたらしい。リハビリの必要もあり、結果、1週間ほどの入院が必要といわれた。1週間でいいのかという安心もあった。

 

事情を聞いた後、看護師さんから明日、また入院の手続きなどをしにくるようにと指示をうけ、「じゃあ、今日はお帰りください」と言われる。時間は深夜3時半。電車は無い。そもそも、そこは駅からも少しばかり離れたところ。「こういう場合、普通、他の方はどうしているのですか?」と聞くと、タクシーですかね、と言われた。実家も、自分の家もそれなりに遠い。ざっと調べて、それでも意外と、自分の家の方が近いことがわかったし、着替えやいろいろを考えると、自分の家に戻る方がいいと思い、タクシーを呼ぶことに。それも苦戦した。その時間なので、電話もなかなかつながらない。

 

ようやくタクシーを呼び、自宅へ帰る。向かう車中でぼんやり考える。だいぶ、眠かったけれど、目を閉じても眠ることができない。ひと月前に怪我をしてないか、アレルギーが無いか、手術をした過去はあるか、いろいろなことを知らなかった。想像もしないことが起こりすぎて、なんとも現実感がない。

 

ただ、父の教訓があり、気になった時はすぐに病院へ連れていく、という考えがあったはずだったのに、母が発した合図を大丈夫だろうとスルーした自分がいた。少なからぬ責任は自分にあった。父がいなくなることも、やはり母には大きな影響を与えていた。そのあたりのことも気づかないふりをしていたかもしれない。

 

スムーズに家についた。「はじめてきました」とタクシーの運転手さんに言われた。お礼を言って帰宅。扉を開けると、嫁さんが起きてくれた。少しばかり状況を説明する。ただ、肝心の僕が眠気や疲れでフラフラしてて、あっという間に眠ってしまった。

 

ひとまず、命に別条がないことにほっとした。

 

翌日、起きてから職場に事情を話し、会社を休む。それから嫁さんも協力してくれてまずは実家に行き、入院の準備のため着替えを持ち、それから、家の掃除。一週間不在にするので、生ごみや、賞味期限がもちそうもない冷蔵庫の食べ物などを処分。お隣さんにも事情を報告。それから病院へ。入院の手続きをする。こういうことをするのも実は人生で初。ただ、母には面会はできなかった。コロナはこういうところでもいろいろ厄介だ。看護士の方から説明を受けたり、お医者さんからも電話をもらい話をきいた。

母は意識を取り戻し、先生たちの質問にも受け答えができるという。ただ、怪我をしたその出来事についてはまったく覚えておらず、なぜ病院に運ばれているのかもわかってないという。頭を強く打ったせいで一時的な記憶障害が生まれているのかもしれない。ただ、それが一時的かどうかは保証ができない。見ず知らずの看護士さんや先生と同様の印象を抱かれたりしたら。そんな心配がよぎる。こればかりは退院してから、いろいろと判断するしかない。

 

それまで、介護など親の世話は、やがてくるだろうけれど、まだ少し先の話、とどこか他人事だった。そういったことが一気に押し寄せて、目の前に立ちはだかっている。そんな気持ち。

 

台風が来る予定の日だったけれど、台風は太平洋側に逸れて、直撃は免れた。そういうところは本当についていた。

 

家に帰ると、事情をしった娘が書置きを書いてくれていた。こういう言葉にホッとする。いずれにしても、入院中は面会もできず、お医者さんたちに頼るしかない。