東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『10年』

自宅。少し寝坊して、8時くらいに目が覚める。もう娘は学校へ出かけていた。急いで仕事の準備。車の運転。ラジオをつけると、そのことを振り返る内容。東北のどこなのか、詳しい場所は聞き漏らしてしまったのだけど、その日の朝は快晴だったという。ただ、地震があった後、天気が悪くなったという。ただ、夜はびっくりするくらい星が綺麗だったとその人は語っていた。

友人と他愛もないやりとりをしていた。午後から仕事が休みなので、健康診断を受けるという。以前に検査をした時、引っかかった内容の再検査だという。

「アラフォーになるとガタがくるね」

と言われて、それは僕もだからなぁと思い、なぜだかふと、あと30年くらい生きて、ある日、苦しまずにパタッとこと切れられればと思った。それで、71歳という年齢が思い浮かんだのだけど、それは、父の亡くなった歳だ。よくわからないけれど、そこまでは元気で生きたいなと思った。

恵比寿駅へ向かうと、駅前が工事をしていた。トイレがあった場所に目隠しができている。ついでみたいに、その横にあった喫煙所も使用できなくなっていた。傍で電話をしている老夫婦がいて、「先頭車両にいればいい?」と電話の向こうに話しかけていた。午後は、風もなく、穏やかな日差し。電車に乗って新橋方面へ向かう。電車内は空いていて、ポツポツと席が埋まる程度の乗客。

五反田駅に着いた時、発車音とは異なる音が流れて、ホームのアナウンスが黙祷を呼びかけた。車内にいた人で、それがはっきり聞こえた人はどれくらいいただろう。僕はたまたまホーム側に座っていたので聞こえていた。山手線が動き出す。目を閉じるのがなんだか不自然に思えてしまい、窓の向こうを眺める。五反田から大崎へ。都会のビル群が流れるように通り過ぎていく。携帯を見ている人、隣同士で話をしている人、寝ている人。僕はただただ外の風景を眺めていた。大崎駅に到着。何事もなかったかのように、乗り降りする人がいて、そして、また次の駅へ移動を始める。

佐々木敦さんがこの日につぶやいたツイート。

無関係な他者の悲劇を、それが我が身に起きたらという可能性の方向ではなく、ただそれ自体として、憂い哀しむことが出来なくてはならないのだと思う。それが想像力というものだと思う

いいねと、リツイートをする。

打合せを終えた後、喫茶店へ移動してそこで仕事をして、一息ついてから、実家へ帰る。そういえば、71歳までは、せめて生きると思ったが、ふと思ったが、そうすると、今、10歳の娘は40歳になるのだ。アラフォーに。まぁ、僕が30年経つわけだけだから、娘も30年経つので当たり前だけど。駅から家に帰る道はもう暗い。母に何かいるか連絡をしたが、特にいらないという。空を見上げると、星がでている。東京に比べれば暗いからだろうし、高い建物はないから、星が綺麗に見える。もう肌寒さも感じない。ラジオで語っていた、震災を間近で体験した方の、「やけに星が綺麗だった」という言葉。10年前、その場所のその空はどんな風だったのだろう。