東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『その言葉についてきっとこの先もずっと考える』

21日。この日も早目に出社。仕事いろいろ。一つ打合せ。人柄というものは語り口調にも出てくる。穏やかに話す人はどこか落ち着く。もちろん、その中で、きちんと仕事としての進め方を考えていることはわかるけれど、それが表立って出てこない。丁寧で穏やかな言葉の中であることがホッとする。

この日は3つ打ちあわせがあったけど、いずれも長時間だったせいか、なんだか3つ目の途中からどっと疲れが出てくる。と、とある電話。ここにきてそうなるか。追い打ちをされた気分になり、かなり沈む。

いろいろなことが、いろいろとはっきりしないまま時間だけが過ぎることが続いていた。結論がでないこと、結論を待たせていること、仕事の気がかりなこと、やらなければならないこと、なぜ自分がやらなければならないのか、ということ。そういったものがいろいろと積もり積もっているところに、投げかけられた言葉が、それが向こうがさして思っていないたわいもないものなのだとしても、自分の中にズシっときてしまうことがある。

22日。大阪がなにやら慌ただしい。それに伴い、急激に東京も騒がしくなってきた。そして、自分のまわりも。慌ただしくなることは仕方がないのかもしれないが、なんだか、今の自分の抱えるいろいろと相まって、処理しきれなくなってきている。

そんな最中、車を走らせる仕事。ブレーキのタイミングが普段と違う気がする。気を付けなければと思う。そして、打合せ。なにやら荒れそうなゴールデンウイーク。

家に帰り、一息つきつつ、いろいろ思うことを考える。昨日自分の中で起きてしまったことに関して、ごくごく短い時間だけども会話をし、その短いやり取りの中で、相手が言った言葉を考える。だとしたら、なぜ、人はそれにこだわるのだろう。

深夜。懸案だったとある件が、そこまでおおごとにならずに終わり、少しほっとする。