東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雨上がりの陽射しの強い一日』

朝、前日の雨が少し雨が残っていたけれど、あっという間に止んで、すぐに晴れ間がさしてきた。陽射しは強いくらい。午前中、仕事があったものの、午後は少し落ち着く。

それでカフェでメール作業など。なんやかんや作業はある。落ち着くかと思ったら不意の電話やメールがある。考え方人それぞれなので、それについて僕がどうのこうの言えることでもないけれど、一方的な見方で言えば、何をどうしようが、どんなこともこちらに責任がでてくる。それも仕方がないのだけど、では、その責任を背負いこんでさえも尽くすべきかどうか、になる。

ひとまず、仕事。ないあがらせっとのアルバム「POP CITY」をBGMに。

ようやく仕事が落ち着き、友人Mくんが送ってくれた戯曲を読む。いろいろと考えるところがある。

翌朝が早いので車で帰路へ。普段通らぬ道路を進むと、久しぶりに踏切で停まる。高架や地下化されてしまい、踏切も都内はだいぶ減った。それも一面では渋滞緩和など便利になっているのだろうけれど、なんというか風景のアジが無くなったようにも感じる。

家に帰ると、鍋があった。なんでも野菜が届いたという。春菊やネギがうまい。映画「男はつらいよ次郎物語」を観ながら鍋を食べる。「男はつらいよ」は定型な物語ではあるけれど、なんというか、寅さんの無償の行為、贈与ともいえる振る舞いは、なんともグッとくるし、今回の作品の軸のひとつである、母親探しを終えたあと、役目が終わったらすぐにその場を去り、その後、旅を共にした子供の前に姿を現さないようにする振る舞いもカッコいい。妹のさくらに「働き過ぎじゃない?」と言われて、「働くっていうのは汗水たらして、家族や子供のためにしている人たちのことを言うので、自分の稼業は、働くということではない」と言葉にする。そのようにしか生きれない自分を否定するわけではなく、かといって、生き方を肯定しているということでもない。そういう風にしか生きれない自分であることを自覚している。物語の最後に、甥っ子に、生きるとはなんなのか、と問われる場面で、少し考えた後、「生きていると、ああ、生まれてきて良かったな、なんて思うことが、数回ある、そういうことが思えるときは、生きててよかったって思えるんじゃないか」という台詞があるが、それもまた、強い印象を残す。

翌朝が早かったので、早目に就寝。