水曜。朝。良い天気。翌日から天気が傾くということで、洗濯をする。冬物の残り。ずっと昔、父方の祖父がくれたセーター。20代の頃はちょっと似合わないと思って着てなかったものでずっとタンスの奥に閉まっていたが、そろそろ似合う年になってきた気がする。洗ったけれど、まだ少ししまいこんでいた服特有のかび臭い匂いがする。布団も干す。
窓を開けると、猫たちが我先にとベランダへ駆け出していく。陽射しが気持ち良いので少し窓を解放。脱走するからと嫁さんには注意をされるだけど、まぁ、少しくらいのんきに外を散歩させるくらいでもいい気がしている。
二軒隣りの家に、うちにもいるチンチラシルバーの猫がいるようで、窓から外を眺めていた。同じ種類の猫がいると、嫁に言ったが、違うという。どうみても同じ種類な気がするのだけれども。もう一度確かめたいけれど、その後、窓際から離れてしまって確認が出来ない。
午後、陽射しが気持ち良い。青山真治さんの「ホテルクロニクルズ」を一篇ずつ読んでいて、それでふと、中上健次さんの本が読みたくなり、さっと見つけることができたエッセイ「スパニッシュキャラバンを探して」をパラパラと読む。窓際、陽が差し込んでくる場所で少し横になる。風が気持ち良い。学校帰りの子供たちの声が外から聞こえてくる。
少しだけ、買い物へ。結果、あれこれと買うものが増えて意外と大荷物。
夜、少しオンラインの打合せがあったのだけど、その直前に急なトラブル。ここ数年、こういった類のトラブルが増えてしまった。オンラインの打合せをしつつ、電話やLINEで対応。夜22時過ぎにバタバタとトラブルになるのは厄介。
ようやく一息ついたものの、少し落ち着かず、なんとなくぼんやりする。少し肌寒さを感じつつ、2時前に就寝。
木曜。朝、目覚めるとすでに雨がぱらついている。霧雨のような。燃えるゴミを出して、朝食を食べて出かける支度。自宅待機から一週間を過ぎたので、そろそろPCRの検査をしてもらおうと病院へ。なんでも、濃厚接触の人対象の公費でできるPCRがあるという。それで嫁と娘が検査を受けた病院へ行く。と、公費での濃厚接触者向けのPCRというのが、対象が濃厚接触と判定されて7日以内でないと適応されないらしい。それも、発症者が発症したとされる日から7日でないとダメらしい。嫁と娘たちがPCR検査で陽性と診断をされたのは先週の木曜の朝なのだけど、その前日の水曜に検査を受けており、その検査日を初日とカウントするそうだ。なので、僕が病院に来たのは、厳密には『八日目』で、公費での検査機関を過ぎているんですよ、と看護師は当然のように言ってきた。いやいや、そもそも、そんなルールがあることも初めて知った。何度か病院に確認もしたし、保健所にも確認をしたが、どこもそんなこと言わなかったし、そもそも濃厚接触者の自宅待機期間についても曖昧なことしか答えてくれない。結果、医者から、異例ですけどね、くらいのニュアンスで、今回は適応できるようにします、と言われる。で、これが陰性なら、もう翌日から自宅待機を解除しても良いんですよね?と聞いても、本来は、発症者が治った日から7日はおかないとダメなんですけれど、保健所の判断が最近はちょっと緩くなってきており、それは医者としてはあまり認めてないんですけどね、と曖昧なことを言う。では、ダメなんですか?と聞くと、まぁ、陰性であるなら、それをもって、かかってないということでいいとは思いますが、どうたらかあたらと、結局、結論づけた物言いはしてくれない。
とりあえず、診察が終わり、PCR検査へ。唾液を採るプラスチック容器を渡され仕切りのある部屋へ通される。アルコール消毒をやたらとしてびしょびしょになった椅子に座らされる。目の前の壁に冗談みたいな貼り紙がしてある。
検査を終えてから帰宅。雨は止まず肌寒い。まだ前日のトラブルが尾を引いており、それの対応をしつつ、仕事、諸々。ようやく落ち着いたのは夕方。と、Twitterで、フォローしている劇作家さんが誕生日を迎えたというツイートをしている、そのタイムライン上の真上に、とあるアーティストの告別式があったことを知らせるツイートが並ぶ。あらゆることが並列に情報として発信され、それは刻々と新しい情報によって下へ下へと移動していく。それでなんとなく、そのお亡くなりになってしまったアーティストの音楽をSpotifyで聴く。アコギ一本の弾き語り。
仕事をしつつ、なんやかんや19時近く。病院からの通知。PCR陰性の知らせ。ひとまずほっとする。重症になって辛い思いをされている方の記事などを読んでいると、コロナの深刻さは計り知れない。そうはならないことの幸い。ただ、対岸の火事ではなく、すぐ横にある存在。他人事ではない。ともあれ、一安心。
夜。成瀬巳喜男監督『乱れる』を観る。スーパーという新しい時代の象徴としての存在が、小売り業を追いやっていくこと。扱われる題材が「スーパー」ではなく、例えば、「スマホ」であれば、今の時代にも通じるテーマだろう。時代の流れの中で、新しい流れに翻弄される立場の人はどの時代にもいる。高峰秀子さんが自ら、去っていく姿。その奥ゆかしさが引き起こしてしまう悲劇。
それにしても、明日の天気予報が最高気温が9度下がるって、どれほどの寒暖差なのか。