東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『夏の日曜、シネマアミーゴで』

土曜。ある程度、程よい暑さ。朝から事務作業諸々。それから夕方、仕事の用件で舞台を観劇。若い俳優の人たちができることの一つに、その若さを全力で出すことだと思う。そんなことを言うとおっさんみたいだけど、おっさんなので、仕方がない。若さは若い人たちしか持ってないわけで、それは絶対武器だと思うし。

そんなこんなで舞台を観終えてから、帰宅。ふと、21時過ぎくらいなら映画でも観ようかと思ったけれど、そう思ったら途端にどっと疲れが出て、帰ってぼんやり。食欲もないなぁと思い、コンビニで鯖缶だけ購入。帰宅してテレビを観つつ筋トレ。「アメトーーク」。企画もの。新しい内容を取り組むことはあるだろうけれど、テーマに縛られるゲームのようなものは、「アメトーーク」にはそぐわないのではないだろうか。ならば立ちトークのようなものの方が、楽しいと思えてしまう。tverでバラエティを観たら、漁港で御飯を食べる内容の放送で、それを観たらやけに米が食べたくなってしまい、夜遅くに結局、米を食べてしまった。


日曜。朝、トイレや台所の掃除をして、少し仕事をしてから出かける。たまたま『シネマアミーゴ』という映画館を逗子に発見し、そこで『名付けられない踊り』が上映していることを知る。逗子にあるその映画館が気になったので、せっかくなので出かけた。青空も出てきて良い天気。『名付けられた踊り』は18時からだったので、早目に逗子に着いて、海へ。砂浜で半裸になりぼんやりする。

直射日光を浴びている状態だけれども、風も吹いているからだろうか、それほど暑さを感じない。麦茶を飲みつつ、ぼんやり。海の家も賑やかで、海水浴客もたくさんいる。マスクを着けている人はほとんどいない。気にかけていれば、もうマスクもほどほどで良いのだと思う。

それにしても、波も穏やか。空も海も見える風景すべてが青々としていた。15時過ぎに一度、散歩にでかける。国道沿いに山へ登れる階段を見つける。披露山という名前の山のハイキングコースだったのでそこを登ってみる。少ししんどかったものの、疲れはない。ジョギングの成果が出ているかもしれない。頂上に出ると、見晴らしが良い。逗子マリーナの向こうに江ノ島が見える。晴れていると富士山も見えるらしいが、今日は雲で見えなかった。

17時近くになっても陽がまだ高い。砂浜は人でいっぱい。みんな楽しそうだ。僕もすっかり陽に焼けた。やや傾いてきた太陽が、海をキラキラと光らせて、それが眩しい。夏だなとつくづく。

それからシネマアミーゴへ。少し大きめの一軒家のような作り。建物前に少し人だかりがいて、上映を待っている客かと思ったら、違った。入ると、15席程度の小さい映画館。1800円でドリンクが一杯着いてくる。アイスコーヒーを注文。結果、貸し切り状態。贅沢な次第。それにしても、雰囲気の良い映画館。いや、館というよりは喫茶スペースのようで、後方にはバーカウンターがある。予告編の最中、バーカウンターからグラスを片づける音が聞こえるのもなんだか味わい深い。そういう映画館も良いなと思う。

『名付けられない踊り』。1945年3月10日。東京大空襲の日にこの世に生を受けたのだという。田中泯さんの、畑仕事で作り上げられた身体は、しなやかでありつつも、引き締まっている。モダンバレエをやっていた若かりし頃、鏡のあるリハーサル室で自分の姿を見ながら練習をすることに違和感を感じていたという。土方巽さんの舞踏との出会いが大きく変える。裸に、髪などあらゆる場所を剃毛し、ペニスに布を巻いて、身体をさらけ出した姿で踊る独自のスタイルを作り上げ、警察に通報されようが、その踊りを貫いた。決まった型を持たず、その時、その時の身体の動くままに表現する。それは個性を出す、と言った類のものではないという。私と、観客の間にダンスが生じるような、ただ、立っているだけでも、そこに『ダンス』を感じるような、そういうことを追求する。それをいまも変わらず、追求して踊り続けている。

元々モダンバレエをやられていた基礎がしっかりされた身体で、それとは異なる踊りをする。幼いころ、田中泯さんの言葉で言うなら『わたしの子供』は空を見上げるのが好きだったという。今もしばしば踊りながら、空を見上げ、手を拡げる。そういった田中泯さんの踊りを観た、フランスの思想家ロジュ・カイヨワが「いつまでも名付けようのない踊りを続けてください」と言ったのだという。

充実の映画体験。シネマアミーゴで観れたのも本当に良かった。外に出ると、すっかり日が暮れて、海沿いの肌にまとわりつくような潮風も今日は心地いい。空には月が見える。少し大きく見える。海沿いの町も、さすがに夜は少し落ち着いてきていた。それにしても良い映画館を知ることができた。また、映画を観にいきたい。

充実の一日。夜になってスマホを見て、選挙結果に少しげんなり。しかしこれも仕方がない。結果は結果だ。