東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『美しいものを美しいと思うこと』

朝、目が覚めたとき、少し風は強いと感じたけれど、もう台風の影響はほぼなかった。天気予報を見ると、傘マークは続いていたけれど、とはいえ、雨は落ち着きそう。気温も低くなる予報がでていたけれど、まぁそうは言っても、と、Tシャツ一枚で仕事場へ。

電車はそれほど遅延もなかった。職場で少しばかり作業。時々、窓の外を見ると、強い雨が降ったりする。不安定な天気。事務作業、打合せ、いろいろ。立場によって考え方は変わる。自分だって相手側に立てば、どのような意見を持つか。なかなか難しい。

と、そんな最中、LINEの通知。とある報を知らせるツイートを教えてもらう。宮沢章夫さんの訃報。体調を崩して入院をされていたことはTwitterで知っていた。ただ、検査入院のようなものだと勝手に勘違いしていた。8月最後の方のツイートがちょっと不思議な呟きで、しばらく更新が無かったのが気になっていた。舞台演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチさんが「早く回復されますように」というツイートをしていたので、少し健康状態は悪いのだと思っていたけれど、やがて回復するのだろうと思っていた。当たり前だと思っていたことが、突然失われると、その突然の空虚さに言葉も出ない。65歳。まだまだお若い。

20代前半。最初の就職で猛烈な失意と共に、しばらく社会復帰が出来てなかった僕が辛うじて派遣社員として働きだして、少し余裕が出てきた時に見つけたのが宮沢章夫さんのネットの日記だった。ほぼ毎日更新される日記の、その文体に笑い、そして考えさせられて、学ぶこと、触れることの大切さを学んだ。それまで向き合っていた演劇の考え方に深みを与えてくれて多くのことを学んだ。見よう見まねで日記を書いてみたり、宮沢章夫さんが面白いといった映画や本をひとまず見てみようと行動した。

遊園地再生事業団の第二期という時期か、『トーキョーボディ』公演後ぐらいから、僕はリアルタイムで宮沢章夫さんの作品を追うようになり、恥ずかしながら、次作『トーキョー/不在/ハムレット』のキャストオーディションにも参加した。その時、オーディションでMくんと一緒だったのも偶然だった。オーディションに落ちたとて、学びたいと思い、リーディング公演からその作品をずっと追った。あの作品に関われていたほぼ10か月近くの宮沢章夫さんの、演劇する運動が、僕にとってどれほど刺激的だったか。

その後も、多くの演劇作品、小説、書籍に触れた。今となっては不可能だろうが、早稲田大学で教鞭をとられていた授業にもぐって授業を受けたこともあった。

今でもまだ、宮沢章夫さんの日記は、時々読み返す。日々の記録以上に、多くのことを学ばせてくれる文章たちだ。

先日、それは偶然だったのだけど、お台場で、業務を終えた観覧車が解体されている光景を見た。観覧車のゲージが取り外されており、やがてその姿が無くなっていく途中だった。仕事先へ向かう途中だったので、ゆっくり眺めることもできず、それでもなんとなく気になっていた。

解体された遊園地。90年代と向き合った宮沢章夫さんのテーマだった。そこから浮かび上がる言葉が、『静かな演劇』と評価されて、一つの時代を作っていた。

形あるものはいつかは無くなる。誰の命もほとんど100年も持たない。やがて消える。それでも、あの日観劇した舞台の、あの空気感、そして、読んだ本から得た悦びの記憶は忘れない。

宮沢章夫さんの演劇を通じて、美しいものを、ちゃんと美しいと感じようということを、僕は学ぶことができました。

そして、またいつもの日常へと戻っていく。夜。雨が止むとだいぶひんやりとした空気。Tシャツ一枚では寒く感じる夜。

ご冥福をお祈りいたします。