東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ただ動いていよう』

快晴。朝、少し早めに仕事があり、車で都内を移動。池袋から新宿方面へ向かう時、普段は明治通りを使っているのだけど、主要道路でかなり混雑するが、早稲田から新宿に向けて駅前、線路沿いの道がかなりスムーズで走りやすいことを発見。それ以来、時々その道路を使っている。この日も日曜で快適。

諸々仕事と打合せを終えて、少しだけ一息。夕方から別件の仕事があったけれど、少しだけ時間がああったので、公園のベンチに座って少しぼんやりする。陽射しが心地よく、たくさんの人が目の前を通り過ぎていく。宮沢章夫さんの短編小説『返却』という作品を読む。30年以上前に借りた本を返却に、かつて大学時代に住んでいた八王子へ向かい、彷徨する話。話の筋もあるようなないような、取り留めなく、思いつくままに想い出に浸ったり、行き当たりばったりの展開をするが、実際のところ、僕らの思考も、行動もそのようなものではないか。そういうことを『そのままでいい』と言ってくれているような気がする。

答えを出さぬまま生き、そのときの、その一瞬が面白いからと仕事をしていた。答えの意味すら考えたこともない。自分について、よく考え、よく知っているつもりだが、ほんとはなにもわからない。
動いていよう。じっとしないで、ただ動いていよう。

小説の一節。宮沢章夫さん自身の考え方でもあるのではないかと思う。本を読みながら、通り過ぎていく人たちが話している声が耳に入ってくる。

「正解はあそこのタリーズで買っていく」
「電車の中でさ、マスクをしてない女性がいて」
「普通に、キモかった。カメラをそんな風に持つなって話だよな」
「鬼ごっこする人、あつまれー」
「この実ね、食おうと思えば食えるよ」
「お腹、空いた」
「その人、子供がいて、ひえーっなって」
「すごーい、なんか、この季節にこんな新緑みたいな緑で」
「明日、仕事でしょ」
「やることわかっちゃってるのよ、ルーティンが」

こうやって書き留めてみると、それがなんだか面白い。人がたまたまそこを歩いている時の、断片。そこからいろいろなことが喚起される。

日が暮れてくるころ、まだまだ元気な子供たちが、公園の中で歌を歌っている。『どんぐりころころ』。楽しそうだなと思って聞いていると、1番のあとに2番を歌い始めた。それで驚いた。『どんぐりころころ』って2番があるんだな。


「どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた」

ずっと昔、自分も歌っていたのかもしれない。だけどまったく覚えてなかった。2番の歌詞を見てみると、それはそれで哀しい話が下敷きなのかもしれないとも思った。


その後、仕事で車でとある地方へ車で。首都高で渋滞に捕まるものの、その後は順調。なんやかんや100キロを超える遠方。車で宿泊先に着いたら、急に雷を伴う雨が。そしてヒヤッとした冷気が入ってくる。