東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『共鳴』

やや曇り。出先で打合せがあり、昼頃、職場を出る。予報だと雨が降るらしいが、傘を持っていくのは面倒だったので、とりあえず出かける。

出先で、1月中に結構な大地震が起きるらしい、みたいなことを言われた。本当か。それから少し歩いて別の仕事へ。諸々終わって駅へ行こうと思ったら、見慣れない蕎麦屋を発見し、気になったので入ってみる。もり蕎麦と、かき揚げ丼。寒くても、蕎麦はもり。そして蕎麦湯。

職場に戻って仕事いろいろ。なかなか落ち着かないけれど、仕事無双モードなので、今のところ、苦ではない、が、どこかでプツンといったら、一気にドーンとなりそうな気配もある。

夜、少し雪が降り出す。仕事を終えて、職場をでると、今年初めての雪。確かに肌寒い。けど、職場から駅まで歩いていくうちに止んできた。どうやら打ち止めの様子。なぜか、妙に、「Singin’in the Rain」を聞きたくなり、スマホで聞いていた。すると、駅のホームなのに、突然後ろから、声をかけられる。びくっとして振り向くと、駅の外にいた女性が「この駅の改札に行くにはどういったらいいですかー?」とたずねてきた。それで出来る限り、案内をする。それにしてもびっくりした。

地元の駅に降りると、アスファルトも濡れておらず雪が降っていた気配もない。局所的な雪だったのか。帰宅。先日、たまたま、テレビで「カズレーザーと学ぶ」という番組を観た。普段見ておらず、本当にたまたまテレビをつけたら放送されており、『集団心理』について勉強するという内容に興味があり、実際、内容がとても面白く、改めてtverで見返した。

例えば、ゴリラは、家族での群れ(10~15頭)でしか行動せず、チンパンジーは共同体で群れを成すという。外見では同じように見えるが、ゴリラの群れは利益など関係のない血縁でつながる集団で、チンパンジーの共同体とは互いに利益があるからこそつながる集団であるということ。生物の群れは、どちらか特有で決まっているらしい。が、人間というのは、家族のような群れも、共同体のような集合体も両立する唯一の生き物なのだという。そういった複雑さが同居できるように、脳が今の大きさに進化した。そして、大きな集団を維持させるために、言葉という情報伝達ツールが発達したのだという。逆を言えば、言葉は情報伝達のツールであるからして、本当に深いところで、生き物同士がつながるためには、言葉ではなく、別のコミュニケーションが必要である。それは、目を見て、お互いが身体的に交流すること。ダンスでもいいし、身体を介する交流が大事だという。話のいちいちが興味深かった。

集団や、相手とのコミュニケーションを取るうえで、脳が同期する、もしくは、共鳴、するためには、五感の中でも、触覚、味覚、臭覚を共有する方が良いという。視覚や聴覚も大事だが、実はその二つは騙されやすいのだという。だから電話だけのやり取りで、オレオレ詐欺なども行われてしまう。同じ空間で、同じ時間を、同じ目的を持ってやりとりをする、上記の3つの感覚を共有することが、お互いの共鳴を産む。簡単に言えば、御飯一緒に食べることが、どれほど大切か。一方で、オンラインミーティングだけでは伝わらないこともある、ということだ。もちろん、それは便利ではある。だから、あくまでも情報の共有の為には使えるだろうが、できるだけ、同じ空間を共有することが大事である。

そんなことを学べて、いろいろと考えることもあった。確かに、そういったコミュニケーションが、コロナ以前に比べるとガクンと減った。元々、そういったコミュニケーションに消極的だったし、なんなら、そんなことしなくても、コミュニケーションは取れるだろうと思っていた。

だけど、仕事上でも、なんだか、どうも、うまく人間関係が作れないことがあり、その原因は、自分の、そういうところの至らなさにあるんだなと実感をした。まぁ、とはいえ、すぐに「飯行こうぜ」みたいに誘えるほどの器量もないけれど、そういったことの大切さをしり、実のところ、一つ仕事の関係で、非常に腹立たしいことがあり、もはやこれまでだな、とか思っていたところ、相手から連絡があり、「自分がこんなこと言うのはあれですが、今度、ちゃんと話しませんか」と相手が言ってくれて、自分からそういうことを言えなかった了見の狭さを反省しつつ、電話だけではなく、場を設けることの大切さというものを、なんとなく、身に染みた。まぁ、その機会をいつ作れるかはわからないし、拗れた感情が、瓦解できるかはわからないけれど、自分も、まだまだ大人になりきれてないなと反省もした、という夜でした。