東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

明日は小屋入り

■ 夜勤。明日は小屋入りの日なのに、仕事場にいる。

スーパージャンプという雑誌に連載が始まった徳弘正也さんの『バンパイヤ−昭和不老不死伝説−』が面白い。名作と噂の『狂四郎2030』をまだ見ていないわけだけど。正直この人の絵が苦手だったので。でも今回は見る。いいものは見たい。

■ 今日が稽古最終日。演出家や他の役者には本当に申し訳ないと思うが、これも社会人のつらいところとご理解してもらうしかない。このタイミングで夜勤に入らないと、本番中に夜勤という、本当にどうしようもない事態になる可能性もあるわけで。

■ ただ、そういったわけで仕事場に居るので、明日から小屋入りという感覚がわかない。正直、緊張感がない。こういったときに大きなミスをやらかしてしまいそうだ。11日の稽古の時にやった通しで、役者のMくんが重要な人名を間違えて言ってしまって、その時は笑い話になったけれど、これが本番だったらと思うとぞっとする。Mくん自身も自分が間違っていたという自覚がなかったらしく、なんで俺が笑っていたのか分からなかったとのこと。いや、案外その方がいいのかもしれない。問題は間違えたと気付いたとき、話と自分のテンションを戻せるかだ。間違いがないに越したことはないが、本番は何が起きるか分からない。

■ で、その通しをやって演出家が駄目だしをしたんだけど、そこで気付いたことがある。演出家が「部分的にはラストはよかったけど、全体的には良くなかった」と言った。通常、稽古は抜きで部分的におこなう。通しを繰り返していたら稽古時間がいくらあっても足りないわけだし。そうやって部分的に稽古をやっていると、その部分の理想的な状態が見えてくる。で、通したときにその理想的な状態が全ての場面で続くことがおそらくその芝居の理想的な形になるわけだ。じゃあ通したとき、駄目な部分もあるけどいい部分もあったという状態は果たして、芝居全体としていい状態だろうか。もちろんそれはケースバイケースだけど、駄目な部分が存在してしまうと、いい部分までも台無しにしてしまう可能性がある。

■ 部分的にいいというのは、稽古を見て知っている『作り手側』の目線に過ぎない。『観客』はあくまでも物語を通してでして見ることができないわけだ。駄目な部分があると観客はそのイメージの延長上に良いシーンをみることになるので、おそらく演出家が意図した視界で、そのシーンを見ることはできなくなる。結局、部分的に良くても(稽古で作った理想の状態)、芝居は全体なのだ。

■ で、どうしたらいいのかというと、役者がなんとかするしかないのだ。例えば出だしのペースがゆっくりだと感じたら、他のシーンで少しテンポを上げて芝居をしてみるとか。つまり流れの中で物語を作っていかなくてはいけない。そうすることで「その時の芝居」が作られるのではないだろうか。

■ もちろん、急激に稽古していたときと変われというわけではなく、稽古で積み上げたものを、その空気にあわせて舞台にあげるのだ。そうなるとですよ、やはり稽古の時に役者は、自分が出ていないシーンも見ておくべきなんですよ。稽古で、そのシーンの理想型をしっかりと実感しておく。そうすることで、その理想型から軸がぶれても、自分のシーンでそのぶれに柔軟に反応できるはずだ。それがきっと芝居だ。部分的に理想的な状態をピックアップしてつなぎ合わせるのならば、映像の分野にまかせればいいのではないか。演劇はその舞台上で演じるという制約がある。だからこそ生まれるものもあるはずだ。生で演じる醍醐味などとは言わない。その演技に再現性がない芝居はやはりどこか疑いを感じる。稽古を繰り返すことで積み上げた『身体』だからこそ、一回一回の通しや本番で生じるぶれに対して反応できるのだ。そうやって反応した身体から溢れてくるその瞬間の空気感こそ、芝居でしか生まれないものなのではないだろうか。

■ だから稽古を繰り返す。役者の『身体』を作り上げる。そして他のシーンも徹底的に見る。そうすることで空気を共有する。そこまでやらないときっと芝居はできないのかもしれない。

■ 僕は今回の稽古の後半で、他の役者の稽古を見なくなってしまった。やはりこれはいけなかったのだと思う。自分の部分の稽古だけできればいいというわけではないのだ。芝居の空気感を作ること。今まで芝居に数年間携わってきたけれど、そういうことに自覚的になれたのは初めてかもしれない。これは収穫だ。

■ 何はともあれ明日から小屋入り。明日は一日、大工仕事だ。舞台を作る。照明を作る。それが出来たら実際の舞台で、照明と音響を合わせて各場面を確認をしていく場当たりがある。本番同様に通すゲネプロはおそらく金曜にならないと出来ないだろう。ゲネプロをしたら、もう本番一回目が目の前だ。慌しくも楽しい日々になればいい。

■ と、いうわけでこの日記はまた更新が滞るだろう。今度仕事場に来るのは来週の月曜日だ。本来ならば、そういった重要なときほど更新するべきなのだろうけれども。文章を書く暇があってもネットに繋がったパソコンの前に座る時間がないわけで。何はともあれ、激動の週末を迎えることになります。みなさまも楽しい週末をお過ごしください。