東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

意外と簡単だよ、松瀬君

■というわけで3連休だった。連休なので更新をしなかったわけだけど、とにかく稽古の日々だったわけです。

■8日。まず午前中に4月の公演で借りようと思っている劇場を再び下見。今回は劇場の照明スタッフの方とこっちでお願いしている照明スタッフの方とで照明に関して相談してもらった。なにせお金をそんなに持っているわけではないので、こっちが支払えるギリギリのお金で、使わせて貰える照明機材の説明をしてもらう。僕は照明に関する知識が全然ないので、その話を傍観して聞いているのみ。スタッフさん曰く、こっちが支払える料金で借りられる照明機材だけでも、ある程度の照明プランは練ることができるとのこと。それは朗報。今回の照明は最低限の効果が作れればいい。基本は役者と台本で勝負だ。そうでなくちゃ面白くない。

■そういったことで4月の公演の劇場がほぼ確定した。徐々に準備が進んでいく。打ち合わせが終わったら、次は1月の芝居の稽古場へ直行。町田へ向かう。稽古。照明や音響のスタッフの方も稽古に参加。稽古を見てもらい、流れを把握してもらう。役者以外の人が稽古場に来ることで、また一歩本番に近づいた気分になってくる。演出家が気になるところを抜きで稽古。部分的に仕上げていく。

■9日。衣装がほぼ決定。衣装を着て、今回の芝居を初めて通してやってみる。照明と音響のきっかけもいれながら。トータルで約2時間。この尺をどう捉えるか。適当な時間なのか、それとも長いのか。無論、それは演出家が判断すること。部分的に稽古をしてきたものが、通して見てみることでまた違った姿を見せる。全体から見た一場面としてどういう姿をしているのか。そういったことを改めて考えることができる。そういった意味でも通しは重要だ。僕個人の意見では長いと感じた。演出家はどう捉えたのか。

■ 10日。今回の芝居は2幕芝居。休憩を挟んで1幕と2幕がある。9日の通しでは1幕よりも2幕が長かった。台本の分量を見ても2幕のほうがやや多いので当然なんだけど、これは意外と大変だ。観客の感じる時間間隔というものがあるのだろうし、どうも長く感じる。結論としては各部分をシャープに作っていくしかない。もう一度流れを意識しながら通してみる。後半、役者のちょっとした意識の持ち方でぐっと見易くなったけれども、この意識を持続できるかが重要。後半はどうしたって疲れる。スタミナだ。

■ 僕はなんだか集中力が欠いてきた。よくないのだけれども稽古にも集中できない。自分の出番以外は稽古場の外のロビーでボーっとしてしまっている。演出に口をだすのも、役者にアドバイスするのももはや憚れてきて、自分の部分だけをきちんとこなそうと思うようになってしまっている。駄目だけどもう駄目だ。

■ 参加している役者さんの中で、自分の出演時間をずいぶん気にする人がいて、なんだか面白かった。2時間強の芝居で自分の出番が30分くらいしかないらしく、他の1時間ぐらい出ている役者さんにしきりに「羨ましい羨ましい」と言っている。そんなものかなぁ。俺は適材適所だったらどんなに短い時間でも構わないけど。みんな均等に出番を与えようなんていう制約で台本を作るのは厄介なところもあるし。むろん劇団運営とかを考える場合、その辺は考慮される必要のある問題なのかもしれないが。

■ で、冷静に自分の出演時間を考えてみると、おそらく20分もないことに気付いた。まぁそれは別にいい。僕は芝居が始まってから30分以上出番が無く、出番があってから終幕までまた30分以上出番がない。芝居の真ん中辺りにフラフラと出演して、フラフラと消える。俺はその間何をしているのだろう。今から本番中の楽屋での待ち時間が気になってきた。

■ 昨日、稽古場で、休憩時間に役者さんからIQテストで出てきそうなクイズ問題を出された。その時どれほど頭をひねっても正解を出せなかった。難しくて面白い問題だと思ったので、ここぞとばかりに今日出勤してから、会社の人に出題してみたらみんないとも簡単に解いてしまった。これは一体どういったことか。問題を解いた人々は「意外と簡単でしたね」「松瀬君、これ簡単だよ」と言ってくる。なぜ、みんな簡単に解けるのだろう。僕が単に頭が悪かっただけなのか。なんだかその問題に左右された自分が悲しくなってきた。悔しいのでここにも問題を載せてみようと思ったけれども、口で説明するのが下手なのでやめてみる。あと、これ以上スラスラ解かれてしまったら、僕の立場がないので。