東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『稽古をする』

■ 昨日は夜勤明けに稽古があった。とはいっても稽古は夜からなので、日中は呆然と過ごす。呆然としてばかりもいられないので、友人に頼まれていた台本のようなものを書く。どういう風に使うのかはよく分からないが、短編をいくつか書いて欲しいと頼まれた。なんでもいろんな人に書いてもらっているとのこと。デタラメな話を書いてみる。

■ で、赤羽に行ってみた。赤羽とは東京の北区に属する埼玉と隣接(正確に言うと荒川をを挟んで)している街だ。JRの川口という埼玉の駅から、荒川の陸橋を越えて、赤羽駅に至るという、大宮や浦和などに住む人々にとって言わば東京への玄関口ともいえる街だ。この駅は宇都宮線高崎線埼京線京浜東北線と数多くの電車が乗り入れるターミナル駅。だから駅は大きい。乗換えなどで頻繁に使う駅だが、降りたことはなかった。車窓から見える駅前の町並みは、再開発によるマンションやビルなどの近代化されたものが目にはいりやすいが、ちょっと端の方に目をやるとにぎやかな商店街がある。で、商店街がやけに多い。買い物客も沢山いる。東京とはいえ、ここは紛れもなく住宅街だ。その商店街をブラブラ歩いたが、のんびりとした風でよかった。こういう速度の街がいい。

■ 一昨日観た『レイクサイドマーダーケース』について、未知の方のブログに感想が書いてあり、あ、そういう見方もあるのかと考えさせられた。つまり日本人が集団を組んだときの考え方、結論の出し方の問題。確か、集団心理において何か物事を考えるとき、一人で考えた結論よりも、集団で考えて出した結論のほうが間違った方向にいってしまう可能性が多いといったことを勉強したことがある。映画において、物語の展開は主人公を中心とした登場人物たちがある問題に直面した際に、その問題を解決していこうとして徐々に誤った方向へ進んでしまうといったもので、見ようによってはこれも一種の集団における諸問題の解決の経緯を描いている映画と見て取れるわけだ。映画では最終的にそんな馬鹿なと思うような事態にまでなってしまうものの、当人たちにとってその結論は議論したうえにたどり着いたものであるから、おかしなものではない。ここに集団や組織の危険性がある。自分で考えてみるに、集団の場合、問題が生じたとき、その問題の「解決」よりも、集団の「維持」の方が優先される心理が働くのではなかろうか。だからこそ問題の「正しさ」よりも、集団が「維持」できるにふさわしい結論が選択されてしまうのではないか。

■ 安易に連想しすぎかもしれないが、連合赤軍の人たちによる総括という名で行なわれたリンチ殺害やオウム真理教によるサリン事件など、外から見ているとなぜそんなことをしてしまうのかと思うようなことも、集団という個人以上外部からの介入者未満の限られた範囲内での思考では、それが正しいと結論が出てしまう恐れがあり、それは異常という言葉で簡単に切り捨てられない、誰にでも起こりうることなのではないのだろうか。『レイクサイド〜』も外部の介入のまったく無い限られた集団を設定することで、そういった集団による問題解決の過程を描いた作品だと見ると、また違う面白さを感じる。

■ で、夜は阿佐ヶ谷へ。稽古。かつて一緒に芝居をやったYくんと、初めて一緒に芝居をするYさんと3人だけの稽古。イニシャルで書くとどっちもYでめんどうなので、YOくんとYAさんとする。驚いたのは阿佐ヶ谷駅の男子トイレに入っていた僕が、トイレからでようとしたらYAさんと入り口ですれ違ったことだ。最初はなぜ女の人が男子トイレに入るんだという驚きで思考停止。冷静に考えて、あれはYAさんじゃないかと思い、間違えているぞと思いあわてて中へ。YAさんもあわてて出てきた。なんでも女子トイレが工事中で、男子トイレの中にある多目的用トイレ(車椅子などの方が利用できる)を使えといわれたそうだ。それにしても、工事中だからとはいえ、男子トイレの入り口から入らなければいけない構造になっている多目的トイレを使えというのは、かなり無茶がある気もする。

■ 稽古では僕がとりあえず書いてみた短い台本をやってみる。以前観た芝居で面白かったと思える演出方法を参考にして作ったもので、ちょっと仕掛けのあるような台本だ。これをきちんとやるにはそうとうな練習が必要で、到底一日の稽古で形になるものではないわけだけど、役者の身体訓練にもなると思えたから提案してみた。案の定、難しい。ちょっとでも気を抜くとおかしな演技をしてしまう。とにかく繰り返し練習してみる。できればこの芝居をもっと応用させたものをやってみたいと考えている。この芝居はコントとは違う。大爆笑を誘うようなものではない。つまり「笑い」とは違うものだと思う。それでも今回の芝居でやってみたいと思うのは「笑い」とは違う「面白さ」をそこに感じるからだ。台本を見たYO君がピタゴラスイッチみたいだねと言っていた。うまい例えだと思った。言われてみたらNHK教育番組で放映しているピタゴラスイッチを見て感じる「面白さ」に似ていると思えた。

■ 稽古後は三人で近くの居酒屋へ。くだらない話で盛り上がる。お金が欲しいだとか、恋愛話がどうのこうのだとか。酒が入ればそんなもんだろう。とても楽しかった。とにかく2月の間はいろんなことをやってみたい。「面白さ」や「笑い」とも異なると思えることも提案してみる。いろいろしてみることで新しい「面白さ」を発見できるかもしれない。試す為の期間だ。こういった遊びに近い期間は、通常の稽古とは異なる面白さがある。