東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『黙々と太巻きをほおばる人たち』

■ 会社で風邪が流行っている。と、書いてみて風邪に対して流行るという言葉が適切なのか疑問に思った。口に出して言うときは何も気になんないが、文字にすると少し違和感がある。『風邪』に対して『流行』。まぁそんなに気にならないか。で、さらに思ったのは『はやる』とパソコンで打つと『流行る』と変換できること。パソコンが柔軟になっている気がする。

■ それはともかく仕事場では風邪だ。いろいろな人がかかっている。それで、ちょっと哀しい話がある。先月、体調を崩した同僚がいたのだが、彼は金曜日にやらなくてはいけない仕事を一つ受け持っており、木曜日は休んだものの、金曜日は出勤してきた。体調は最悪だったという。だが彼は座薬を打ってまで会社へやってきたそうだ。仕事に対する熱意に頭が下がる思いだ。その執念で仕事は無事遂行。しかし、その後、会社に風邪が蔓延したのだった。無論、全ての風邪の原因が、彼にあるとは思わないけれども、なんだか哀しくもおかしい気持ちにさせる。「よかれと思って」とった行動が生み出す悲劇未満の出来事とでもいいますか。僕はこの「よかれと思って」が招く事態がなんだか好きだ。そこに人間っぽさを感じるから。

■ で、昨日も稽古。僕は仕事が終わってから、遅れて稽古場へ向かった。稽古場の扉を開く。すると黙々と太巻きをほおばるOさんとUさんを発見。挨拶をしても彼らは返事を返してくれない。黙々と太巻きをほおばっている。さらに気になるのは二人とも同じ方向を向いて太巻きをほおばっていることだ。奇妙で滑稽な空間がそこにあった。それが節分行事の恵方巻きだということはすぐ分かった。知らなかったのは、恵方巻きを食べるときにはしゃべってはいけないという決まりがあるということだ。まぁ一心不乱に太巻き食えということなのかもしれないが。

■ 僕はこの恵方巻きというやつを4年くらい前まで知らなかった。関西の方で伝わる風習だと聞いた。それが数年前に関東にも来たとかどうとか。それにしても、なんだか冗談みたいな風習だ。なぜ太巻きなのだろう。なぜ一言もしゃべらず黙々と食わすのだろう。そういうことの一つ一つに理由はあるのかもしれないが、思うにそれらは後から付けたものなのではないか。ただ単にその姿が面白かったから、そう決めたのではなかろうか。一年に一度、同じ方角をむいて、黙々と太巻きをほおばっている人がそこら中にいる。面白くないわけ無い。もしくは寿司屋が繁盛するための陰謀とか。そう考えるとなんとなく関西圏で誕生したというのも分かるような気がする。関西のどの辺で生まれた風習かわからないけれど、商魂たくましい商人さんやユーモアのある人たちが考えたものに思えてくる。遊び心。冗談から伝統。そうだったらなんだか面白い。堅苦しいガチガチとした決まりごとで作られたものなんかよりも、ずっと面白い。

■ 昨日の稽古はOさんが教えてくれたインプロ(即興劇)の一つで、複数人で会話をしているところに突然、第三者がまったく違う言葉(キーワード)を投げかけ、会話をしている人はそのキーワードを即座に、そしてうまく組み込んで会話を成立させなくてはいけないというエチュードをやった。

■ やってみると結構難しい。まったく出鱈目なキーワードを、うまくそれまでの会話に組み込むには、瞬間的なひらめきや機転が必要だ。もちろん、そういった機転をうまく利かせて、会話を成立させることにこしたことはないけど、その人がどんな言葉で反応するのか、またその瞬間どういった表情、動作をするのかといったことのほうが興味深い。そういうところにその人の身体の特徴が現れる。役にとらわれない、その人独自の身体。エチュードで見えてくるのはまさにそこだ。

■ このエチュードの時のUさんが出鱈目で面白い。キーワードを入れないで会話を続けたり、あまりにも強引にキーワードをいれて会話をしたりする。さらにキーワードを投げかける役になった時に作るキーワードも出鱈目だ。確かにそこで話されている会話の内容とかけ離れたキーワードを提示するように心がけることが必要なんだけど「うんち」はないだろう。どう会話に当てはめていくんだ、「うんち」なんて言葉を。面白い人だ、Uさん。

■ とにかく、今はこうやってお互いの身体を理解していく。稽古は続く。