東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『ダンスのような身体』

■ちょっと暖かくなってきたと思ったら、昨日の夜からまた寒さがぶり返した。やはり2月は甘くなかった。

■昨日も、吉祥寺でやっている友人の芝居を手伝いに行く。仕事が終わってからなので、受付開始ギリギリの時間に行ったのだけれども、なぜだかその日は金銭を扱う割と重要な役目になってしまった。たまに芝居で制作手伝いをやるが、それはせいぜい会場整理とかパンフレット渡し、荷物預かりなどの仕事で、誰でもできる類のものだ。しかし金銭に関わる仕事はちょっとした『慣れ』が必要で、僕にはその『慣れ』があまりなかった。

■扱うお金は、それほどの額ではない。しかしそれでも金銭に関わる役目は大変だ。こういう小さい劇場での芝居は、ほとんどのお客さんが当日精算という、事前に予約を入れておいて、支払いは観に来た日にするという手段をとる。規模が大きな芝居なら事前にチケットを買っておくから、当日にすることはせいぜいチケットのモギリぐらいだ。まぁ当日券を購入する人もいるだろうけど。小劇場は甘くない。そういったわけでワタワタしながらお金を扱う。本来ならば、芝居が始まって、受付の仕事が一段落してから、早目にお金の収支を計算しておく方がいいのだが、その日に芝居を観ておかないと、観る機会を逸してしまうので、開演と同時に客席へもぐりこむ。

■友人であるKさんが書いた戯曲は言葉遊びを多用した物語で、時間や場所も突然変わったりするといった芝居だった。これもある種の劇的な世界。映画や小説ではこの大胆な転換は成立しない気がする。劇中にダンスを取り入れるのは、演出家であるHくんのこだわりなんだと思うけど、KさんとHくんは学生時代からの知り合いということで、『きもちいい』と思える劇的な部分が似ているところもあり(違うところもあるとはおもうけど)、そういうダンスが入るあたりも、何にも違和感はないし、音楽にしても衣装にしても、あと世界観というやつですかね、それも一つきちんとされているものがあった。とてもきちんと作られていた。

■Hくんの演出は僕には絶対出来ない演出だ。その演出は役者に過剰な動きを要請している。それは手振りや身振りに反映される。かといっていわゆる演劇的な動きとはまた異なる印象を受けるのは、おそらくそれらの動きがダンス的であり、そのダンスもまたHくんの好みと思われるダンスの系統にあるからだろう。つまり役者の身体をダンスの振り付けのように立体化させていくとでもいいますか。

■僕は過剰な動きが好きじゃない。『驚く』という動作を人間がするとき、「わぁ」といって手を上げるというような決まりきった動作ばかりを人間はしない。人によって動きは異なる。他人からはまったく驚いたように見えなくても、本人はすごい驚いているということもある。感情は動作に反映されるがそれはあくまでも個人個人でのこと。動作に全体的な決まりきった「型」はない。だから分かり易い「型」にはめて演じる役者の身体は嘘の型にはめられて窮屈にしか見えない。

■じゃあ、Hくんの演出はどうだったかというと、その演出された「型」はそういう嘘くさい「型」とは異なっていた。やはりダンスなのだ。ある動作を単なる分かり易い「型」に当てはめていくのではなく、ダンスの「型」に合わせて身体を立体化していく。だから一個一個の「型」が誇張されず、一つのダンスのリズムの中に委ねられた身体が舞台上に存在することになる。そこには嘘くさい過剰さとはまた異なる過剰さがあり、その過剰さがこの芝居から噴出する魅力だと思えた。

■こういった演出はどうやってつけていくんだろう。大変だな。無論、役者も大変だったんじゃないだろうか。ダンスを覚えるようなしんどさがあったはずだ。型どおり踊るダンスの窮屈さを感じなかったのは、繰り返し反復したのではないかという稽古の賜物ではないかた思えたし、そこまで昇華して舞台に持ってきているのは立派だ。がんばっているなぁと思えた。

■脚本に関して、言葉遊びを多用するところといい、なんとなく野田秀樹さんの戯曲に似ているなぁと思って、終演後Kさんに聞いてみると「意識しました」と言っていた。まぁ意識して、それに似せて書けるという技術は見事だ。それにきっちり書いている。はっきりいって一度だけの観劇では物語の意味はよく解らないところがある。それでも、きちんと書かれた戯曲や、役者の力や勢いという目に見えない固まりのようなものが、見終わった後に何か残ってくる。「解らないけど、よかった」という感想が出てくる。それはきっとすごいことだと思う。物語で面白かったなんて言わせるのはミステリーとかがやればいい。それよりも全体の立体化された空間そのものがよかったということこそ演劇冥利だ。

■そういったことでいろいろ刺激になりました。終演後、お金の収支が合わないという事態が発生。そうなると明らかにお金に関するポジションにいた僕のせい。あせって計算する。確かに合わない気がする。てんやわんやして確認作業。しかし気が動転していて冷静に計算できない。後から、落ち着いて計算した劇団の人から「間違っていなかった」と言われる。それで一安心。気が動転している時に確認作業しても、駄目なのだ。そして何よりお金に関する仕事は不向きなのかもしれないと情けない気分になった。