東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『考える身体』

■どうやらUSBフラッシュバックというのはかなり便利そうですね。それにしてもFDってフロッピーディスクのことか。略語の難しさたるや。

■職場の同僚の親類が結婚式をしたらしいのだが、場所がすごかった。東京ディズニーランドだ。確かに結婚式とかそういうイベントごとをやってそうな気がしたが、実際にやっている人が身近にいなかったので驚いた。

■披露宴はなく、結婚式だけのプランでも結構なお金がかかるらしい。夢と魔法の国の結婚式は甘くない。まぁ冷静に考えれば、園内施設とはいえシンデレラ城という城を借りたりするわけだけだろうから、そりゃかかるのかもしれない。なにせ城だ。いや、よくわからないけれども。面白かったのはオプションでミッキーマウスに祝ってもらえるというものがあるそうだ。オプションって。夢もへったくれもない響きだ。それもまた結構なお金がかかるらしいが、ディズニーランドまできて結婚式を挙げる人なんて、そりゃミッキーマウスに祝ってもらいたいから挙げるのだろうから、頼むだろうなオプション。ミッキーもサービスで祝ってあげればいいのに。夢と魔法の国は、見事な経営戦略で成り立っている。オリエンタル株式会社恐るべし。

■岡山から友人のIが東京に来ていた。祖父母に婚約者を紹介するために来たらしい。週末を利用して3日くらい来ていたらしいが生憎、いろいろな用事があって会う事ができなかった。残念だ。土曜の仕事中にメールをしてみたらお台場に遊びに来ていたらしい。近所に来ていた。とはいえ、仕事中の身なので会えず。Iからの返信が「東京は人が多くて嫌だ」だったのだけど、お前さんは東京出身じゃないかとつっこみたくなった。新宿駅から徒歩3分ほどの新宿高校出身という経歴の持ち主とは思えない感想だが、そういえば学生時代から東京とか人が多い場所は苦手だと言っていた。今では岡山で新居を持つ身。人いきれにやられるのも無理はないか。

■仕事後、上野へ。学生時代の演劇部の仲間のKとOと飲む。久々に集まる。いろいろな話をする。Oは以前に結婚式のお祝いビデオを作って以来、映像の編集にはまってしまったらしく、ことあるごとに映像を作りましょうといっていたが、春にまた本格的に映像を作ると意気込んで企画書のようなものを持ってきていた。本気だ。まだ中身に関しては未定だそうだが、北のほうへドライブをしながらいろいろ撮りたいと言っている。桜前線に合わせて日本を北上していくようにドライブできたらいいなと言っていた。それはそれで楽しそうだ。

■芝居のことも少し話す。Kからもっとがんばっていろいろやればいいのにといったことを言われた。僕自身いろいろやっているつもりなのだけれども。ただ以前ほどは野心のようなものが無くなった気がする。大学を休学して私設の演劇学校のようなものに行っていたころは、役者で食って行くんだぞとか、かなり思っていた。そういったものがいろいろあって今はまた違う考え方になっている。自分が納得のいく芝居をきちんと作っていきたい。食っていくとかそういうことも出来るのならば、そりゃうれしいけれども、きちんとした戯曲を書いて、一緒にやりたいと思う役者さんと、これだと思える演出で一本の芝居をきちんと作れたら、それがいいなと思う。リーディングをやったことがとても刺激になった。戯曲を書くことに集中して、演出についてもいろいろ考えて上演できた。規模は決して大きいものではなかったが、それでも充実していた。

■学生時代、大学のあった町に、地元の方々が集まって作っている劇団があった。劇団員のそれぞれが別にきちんと仕事をしながら年に2〜3回ほど芝居をやっていた。確かに作りこんだ丁寧な芝居を上演していたが、学生時代はそういうペースで芝居をやることに疑問を感じていた。いろいろな人に観て貰いながら、どんどん規模を大きくしていかないとやっている意味がないんじゃないかと思っていた。今はその劇団のペースが、それはそれで心地いいものではないかとも思えるようになった。東京の小演劇という世界で、フリーターをやりながら芝居をやっていくといった生活も楽しいし、否定する気はまったくないけれども、それとはまた別のスタンスで芝居と向き合うことにも歓びはあるのだと思った。

■そういったことを言ったら「まだ若いうちから守りに入るなよ」とKに言われた。僕はどういった方向へむかうんだろう。それは自分で決めていかなくてはいけないんだろうけれども、先のことを全然考えることができない。ただ、今を楽しく生きている気はする。毎日楽しい。だけど、そこには確かに先々の保障はない。不安が残る。楽しい夜だったが、夜はまだまだ寒かった。

■13日日曜日。久々に4月の稽古へ。いろいろなことがあって全然行けてなかった。エチュードのようなゲームのような稽古をやっていく。1人があるものをしゃべらずに身体だけで表し、他のみんなが動作からそのあるものを当てていくというゲームをする。例えば「コーンフレークを食べる人」とか「トイレットペーパー」とか。考えなくてはいけないのは、自分が持っているそのものにあるイメージを的確に形にするようにすることで、あとはその自分の持っているものが、他の人もそれに対して持つ共通イメージであるかを考えること。例えば「北海道」ということを表現しろと言われたYさんはクラーク博士のポーズをひたすらやっていたらしいが、それを見ていたUさんはクラーク博士を知らない(もしくはその動作から認識できなかった)から、いくらYさんがその動作を必死にやっても、Uさんは「ん?」というばかり。自分の持つイメージを、性格に具現化できるのかということ、そのイメージがどれだけ共通認識であるかを知ることができる。まぁゲームになっちゃっているので、当てる方もかなり、自分の共通認識を超えて当てにいくけれども。

■ちょっと難しい問題は「富士急ハイランド」とか「着信あり」とか「カウントダウンTV」とかだった。物質よりも、そういう事象や番組みたいな単体で形がないものは表現しづらい。Oさんはかなりうまい。「弁護士」とか結構難しい問題もうまく表現する。見る側をとても意識できる役者さんなんだと思う。

■ゲームに終始しちゃったのは、それが当てっこで終わっちゃったからで。それはそれで面白いけれど、もっと身体を突き詰めても面白かった。どうしてそう表現するのか。さらには同じ言葉からでも人によって表現するものが違うことについて考えてみるとか。で、もっといくと例えば「新宿」を身体で表現するといった場合、それはどうなるのか。単純にゲームならば「笑っていいとも」の友達の輪とかを表現してみたりして、なんとか当ててもらうとかかもしれないけれど。そういうゲームから離れて「新宿」を自分なりに身体で表現することに特化していく。あの雑踏や賑わい、猥雑さなど、新宿の持つもの、それからイメージされるものを身体で表現してみる。そういったことに発展していけると、それはまた面白いかもしれない。

■ちょっと風邪がひどくなった。喉が痛い。早めに直さなければ。