東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ドリームマッチ』

■ 『ドリームマッチ』というテレビ番組で、キャイーンウド鈴木さんと次長課長井上さんのコントを観た志村けんさんのコメントは「ウドちゃんの笑いはわかんないや」というものだった。

 『ドリームマッチ』とはTV界の一線で活躍する芸人の方たちがいつものコンビとは異なるシャッフルされた組み合わせでコントや漫才をする正月らしい番組。すでに過去数回行なわれている。

それは小林信彦さんの著作『日本の喜劇人』に書かれていたものだと思うけれど、コント55号萩本欽一さんが笑いの一つのシステムとして作り上げたものに『狂気を抱えた人が、普通の人を翻弄する』というものがある。萩本欽一という狂気に、坂上二郎という普通の人が翻弄されることで笑いが生じるというもの。このシステムは極めてテレビ向きであり、その笑いは今もテレビを作るうえで使われている。


『ドリームマッチ』のような即興で一回性の笑いを作る場合も、意識無意識はアレとして、このシステムに照らし合わせてみると構造が見えやすくなるように思う。あくまで私見ながら、例えば今回の、さまーず大竹さんとブラックマヨネーズ小杉さんのコントや、ネプチューン堀内さんと雨上がり決死隊の宮迫さんの漫才は、それぞれ大竹さんと堀内さんという狂気に翻弄される小杉さんと宮迫さんというこのシステムが巧みに生かされたものとして一つ観れると思う。

ダウンタウン松本さんと内村光良さんのコントは、潔いほどすっぱりと途中で狂気の交換が行なわれ、1回で2人の狂気の一端をまとめてダイジェストでみせる構成になっており、極めてサービス精神旺盛のコントになっていた。

番組の最後、審査員の総評という形ながら、志村けんさんの口から上記3組のネタが非常に面白かったと語られたのは、志村さんの根底にも、『狂気と普通』(それはつまり狂気を演じる人と普通を演じる人の喜劇人としての身体性に対する評価)という笑いのシステムに重点が置かれているからなのではないかと思えた。

ウド鈴木さんと井上さんのコントは、携帯ショップに機種変更に来た客(ウドさん)と店員(井上さん)のやりとりという設定で、一見すると狂気の客が店員を翻弄するように見えるが、店員は決して客に翻弄されず、無理な発言も全て平然と返し、最終的には手玉に取る。狂気は決して普通を支配しない。
おそらく志村さんは、そこに狂気と普通を演じる喜劇人としての身体性の薄さを感じたのではないか。2人とも、何かを演じることに熱心なわけではなく、むしろ自分と近い立ち位置で舞台にいた。
でも、そこに笑いは生じてなかったかといえば、そうではなく、上記3組とは異なる魅力があり、そこが面白いと思えた。



年末年始、たくさんの笑い番組があり、それらすべてを観たわけでは当然ないけれど、この志村さんの発言から諸々改めて考えるところがあった。
ちなみに僕が、この年末年始で、一番面白かったコントは天竺鼠というコンビの『生き別れた母』というネタ。
タイトルと細部が異なるものの、大筋はこれと似てる。『ごっつええ感じ』であったコント、スノウフリージャーなどと狂気の立ち方が似てるけど、面白い。