東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『畏れるくらいの写真』

先日、とある会に仕事の流れで参加する。僕は、本当にちょろっとだけ関わっただけなので、そんな場所にいて良いのかなと思うくらい恐縮するのだけど。で、少しばかり夢のような時間を過ごす。少しだけだけど、まったくご縁がないだろうと思えた人たちとお話が出来た。うれしかったけど、まぁ、恐縮しっぱなし。こっちは感激だけど、向こうは戸惑いしかないだろうけど。


バタバタと日が過ぎていくなかで、4月も中旬。少しだけ、3月の怒濤の仕事の日々が落ち着いてきた。日々、仕事に追われるだけではいかんなぁと思いつつ、やはり仕事に追われる。そんな最中、『台風クラブ』を観て、ただただ面白く、どうしたらこういう風に面白いものを作れるのだろうかなどと考えてしまう。主人公たちが、自分の住んでいる団地から歩いていく姿の奥に見える空の、今にも台風が来そうな雲がいい。で、そこに乗っかってくる風の音よ。否応無く何かの始まりを煽る。風の吹くのもなぁ、あれは自然のものなのだろうか、それとも人工的なもの。どうなのだろう。それで、ふと『ニーチェの馬』のあの風はどうやったんだと思ったりもするし、タルコフスキーの『鏡』の草原の風が吹く場面をもう一度観たくなって来たりする。


いや、もう、そんな風にあれこれ観たいと言ってる場合でもないんだけど。『台風クラブ』を観たのも、自分が書こうとしている作品の参考にという気持ちだったけど、観るべきじゃなかった。とてもあれは参考に出来ない。すべきじゃない。面白すぎて真似してしまう。真似てる場合じゃない。


今日は、不思議な天気だった。少しばかり風が冷たくて、気がついたら雨が降っており、雨がやんだと思ったら一気に晴れた。急激な雨で、久しぶりに雨に濡れたアスファルトの匂いをかいだ。でもその後も少しばかり肌寒かった。夕方、道を歩いていたらとても素敵な夕暮れに出会った。日が長くなっている。


飴屋法水さんが、ツイッターで画像を挙げていた。ツイートの言葉もどこか夢のようだ。なぜこのような写真を撮れるのだろう。このような光景に出会えるのだろう。そして、この写真を撮ることの、それが娘であるはずなのに、この距離感があることの、ちょっとした恐れもあるのだけど、ここは「恐れ」ではなくて「畏れ」と書きたいくらいに、ちょっと得難い気持ちになる写真です

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