東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『不思議な旅をしたハガキ』

仕事が始まり、徐々にバタバタとし始めてきた。少し遅れて山形から戻ってきた娘子と嫁。娘子は8日から始まった幼稚園に元気に行ったのだけど、その夜から体調を崩して嘔吐を繰り返した。熱もあり、苦しそうに起きてはトイレに駆け込むということを繰り返す。苦しかったり辛いとはっきりと言葉にできるようになってきているから「苦しいよ」と言葉にするので、それで余計に心配になるけれど、出来ることと言えば背中をさすってあげることくらいでそうやって傍にいる。その日の夜はそうやって何度も目が覚めては苦しそうに戻していたのだけれど、今日になって症状がかなり落ちついてきた。少し暖かかったからということもあるし、薬が効いてきたのかもしれない。なんにせよ、普段は元気な娘だけれど、こうやって体調を崩すことはよくあり、そういうことがあるとやはりまだまだ幼い子供なのだなぁと思う。


子供でなくても体調を崩す寒さは続いており、職場でもインフルエンザで倒れる方が相次いでいる。仕事が始まって、2日間で5名の方がインフルエンザA型を発症しててんやわんやしたのも、忙しさに拍車をかけた。こればかりは仕方がない。僕はひとまず無事だった。年末に体調を崩したし、ここで崩すのは諸々嫌だったのでホッとしている。僕も身体は弱い方なので気をつけねばならない。


一つ、覚え書き。8日の夜に近所に住む家常さんが来てくれて、少し話をした。映画『インターステラー』を観て、とても刺激を受けたということで、話をしたくなったとのこと。家常さんはかなり『インターステラー』で刺激を受けたようで、言葉の端々にもその感じが伺えた。僕も『インターステラー』は観て、面白かったもののそこまでの刺激を受けなかったのだけど、だからこそ別の見方のようなものを教えてもらった気はする。映画のテーマである『愛』について、特に親子の愛について、実際に娘のいる僕はどういう感想を持ったのか知りたかったという家常さん。正直言うと、僕はそういう視点であまりこの作品を意識できなかった。その理由に細かく気になったところを言ってしまったのだけど、本当のところはそういう細かい部分ではなくて、うーん、なんというのだろう、もっと大きな部分で思うところがあったのだけど、それをうまく説明できなかった。それで映画に関することやそれ以外でもいろいろな話をしたのだけど、そういう見方の違いから少しずつお互いの意見の食い違いが出てきて、ちょっとばかり口論になってきてしまった。結果、明け方まで話をした。これまでも家常さんの作るものに刺激を受けることは確かにあって、考え方も似ている部分はあると思ってきたけれど、もちろん、違うなぁと思うこともあった。違いが善し悪しではなく、その違いがあることが面白いところだと思うけれど。表現をする際には、自分の伝えたいことをきちんと伝えたいと思う家常さんの作品作りの姿勢は、本当に全身全霊を注ぎ込むような凄みがある。そういうモノ作りへの姿勢は本当に見習うべき部分。一方の僕は、もちろん伝えたいことはあるから何かしらモノを作るのだけれど、その全てが伝わることを強くは望んでいない。何か作品を作り、その出来たものが、観てくれる人たちそれぞれになんらかの印象として残り、それぞれの中で自由に何かを喚起してくれるようなものであれば、それが良いなぁと思っている。またゆっくりと話をしたいと思う。それにもっといろいろな人とも改めて話がしたい。


で、そんな家常さんが僕らに年賀はがきを送ってくれていたのだけど、堂々と住所を「わかりません」と書いて投函したようで、その堂々した姿勢に腹を抱えて笑った。郵便局の人もびっくりしたろうなぁ。「わかりません」だもん。で、不思議なのは、そんなハガキがなぜか一度、徳島へ行っていることだ。徳島の郵便局で住所不定となり戻ってきている。なぜ徳島へ一度行ったのだろう?不思議な旅を経て、家常さんの家に戻ってきたハガキは手渡しで僕らの手元にある。