東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『仕事初めも過ぎて』

tokyomoon2015-01-06

山形から戻ったのは4日。山形は大雪で、雪が降ればいくぶんか気温は上がる感覚があるのだけど、雪が降りながらも氷点下の気温ということで、久しぶりに北国の寒さを痛感。


帰りの新幹線はかなりの人だった。幸いなことに新庄駅山形新幹線の始発駅で少し早めに並べば自由席がなんとか座れる。その日は朝食をいただいてからすぐに駅へ向かった。義母さんが昼食のお弁当を作ってくれた。なんというか、息子感覚で接してくれる感じが有り難い。


正月休みの最終日だからか、新庄駅からすでに満席で立っている方もいた。僕の隣には年配の男性が座り、しばらくすると突っ伏して眠ってしまったけれど、一緒に連れ帰っていた猫のみぞれが「にゃあ」と小さく泣いた声に反応してしまった。申し訳なかったので謝ったのだけど、「猫ちゃんか」と嬉しそうに言ってくれた。本を持参したけれど、どうも外の風景を見ることに気がいく。山形県内は雪だったけれど、峠を越えて太平洋側に戻ると雪も落ち着き、福島の辺りまでくればもう雪もない。


大宮に着いて新幹線から出たら、暖かく感じるほどの気候。晴れていたこともあるけれど、これほど気温が違うとは。太陽の日差しにホッとする。家に帰るとさすがに落ち着いた。猫のみぞれは、埼玉から山形へ、そして東京へとわずかな時間での大移動に付き合ってくれた。片付けをしてから義母さんのお弁当を頂く。朝食の食卓に出ていた料理の有り合わせを詰めてくれたものかと思ったら、一品ピーマンと牛肉の炒め物が追加されてあり、そんな心遣いが本当に有り難い。


少しぼんやりしてから、思い立って池袋へ。日差しは変わらず暖かい。映画『インターステラー』を観る。同じフロアーにある隣の映画館が『妖怪ウォッチ』をやっていてそちらの親子連れがとてつもなくたくさんいた。こちらはおっさん唯1人。立ちすくむ。『インターステラー』の大半は、壮絶な失敗を経て、その果てに五次元の空間からの救いを描くけれど、五次元の空間と主人公の娘の部屋が繋がっているという設定ってのは、なんといいますか、ドラえもんの、のび太の部屋と四次元のタイムマシンの入り口が繋がっていることと似てるなぁと思った。異空間と部屋が繋がるっていうのは、全世界共通のファンタジーなのか。面白く観ましたが。


そんなこんなで正月休みは終わり。


5日。仕事初め。よく覚えていなかったのだけど、毎年年男年女の人が今年の抱負を言わなければならなかったらしい。気がつけば年男。急に振られたのでうろたえつつ抱負をのべる。うろたえた抱負だった。


気がつけば、仕事モード。夜。仕事を終えて直帰しようかと思ったけれど、このままではまずいなぁと新宿の喫茶店『西武』でパソコンを開く。目標として3本の作品を書こうと思う。3本に根拠はない。本当は年末年始に手をつけようと思ったけれど、恐ろしく何もしなかった。重いパソコンをバッグに詰め込んだものの、ただの重しとかしていた。無理矢理にでもWordを開き、書き出してみる。一向に進まず。自分の性分として、ある程度、骨格が見えて来ないと書き出せないのだなぁと。西武は夜まで人が多い。そして大体の方が、どんな職業か判りづらい風貌。ということは自分もそう見えているのか。23時半すぎに帰宅。猫のみぞれがみゃあみゃあと近づいてきた。1人は寂しかったのだろう。すまぬ。で、結局、あまり食欲も湧かず、ほぼ何も食べずにぼんやりする。


録画していた山田太一さん脚本の『ナイフの行方』を観る。なんと素晴らしい作品であるか。

「もういい、しゃべりすぎるな。別のしゃべり方があるかもしれないだろ」
「大丈夫だ、俺にまかせろなんてことはいえない」

ナイフを振り回し自暴自棄になりかけた青年を止めた主人公は他者との距離感に対して独自の感覚を持っている。安易な救いはない。登場人物全てがそれぞれに業を抱えている。人は判らないし、人は痛い。そのことをありのままに描いてくれることが、だから返ってずしりと重いモノをくれる。