東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『年が明けて』

年が明けて、新しい始まり。あっという間に時が経つ。年末に山形の嫁氏の実家に帰省した。新幹線の指定席がとれず、嫁氏が思い切って少し早めの時間ではあったけど、グリーン車のチケットを買った。まぁ、はしゃぐ娘子と猫を連れての長旅なので、たまにはこのくらいの贅沢も良かろうと思った。なんにせよ、僕自身がグリーン車に乗れるのが楽しみだった。で、その当日、はっと目が覚めたらすでに出発の時間を過ぎていた。思いっきり遅刻してしまった。僕も嫁も寝坊をしてしまい、せっかくのグリーン車を逸してしまった。残念。その上、混雑する新幹線に乗るという労苦も重なりなにやら疲れた帰省初日。


山形の新庄は帰省した日にどかっと雪が降っていた。見事な北国。娘子は雪を見るとうれしそうに「ゆきだるまつくるー!」とはしゃいでいた。

嫁さんの実家に着くと、本当にたくさんの美味しいご飯を食べさせてもらえる。ハタハタや山菜など本当に美味しい。そして夜ご飯では必ずお酒が入ってくる。そして、ふらりといく温泉にのんびりつかる気持ち良さたるや。

とある温泉の露天風呂に浸かっていたとき、外はずっと雪が降っていた。露天風呂には僕しかおらず、やけに静か。誰の声も聞こえない。なんだか雪の降る音のようなものが、耳の奥に聴こえてくる。さっきまで見えていた遠くの鉄塔が、雪で見えなくなっていた。何か、1人取り残されたようになる瞬間があった。

あとは縁なのだけど、かつて自主映画を撮った時に知り合ったイラストレーターのよーへーさんと村山市という町で会うことが出来た。何年越しの再会だろうか。不思議な縁。よーへーさんが東京から地元に帰った理由なども伺うことだできたけど、それは私的なものなのでここでは触れない。だだ、その考え方はとてもなるほどと思った。その他にもいろいろしゃべる。僕も、大学時代、帯広という町にいたのだけど、いわゆる地方都市にはそこの可能性がある。東京は先駆者がおり、あらゆる場所が耕されている。その耕された土地で、さらに自分がどうあるべきかというのが東京の面白さだと思うのだけど、地方都市は実はまだまだ手つかずのところが多い。そこを自分で耕せる面白さがある。よーへーさんはそれを同年代の人たちと行っている印象を受ける。それがとてもいいなぁと思った。あと、全然関係ないけど、村山の『松月』というラーメン屋は美味かった。よーへーさんは自身のFacebookでよくこの『松月』に行ったことをアップしているのだけど、それが半端ない頻度の時がある。よーへーさんの食事の7割くらいは『松月』なのではないかと疑う時がある。ともかく、とても楽しい時間だった。


仕事の都合もあり、少しばかり先に僕と猫のみぞれだけ東京に戻った。帰ると、年賀状が届いていた。ずばり何も手をつけていない。返事をかえさねばならぬと思いつつ、ここまでグズグズしている。仕事があり、ダメだった。バタバタしている。ただ、早稲田松竹にタルベーラ監督の『ニーチェの馬』は観に行った。やっていると知ったからには行かざるおえぬ。そして面白かった。個人的にはナレーションは不要と思った。そして、思いのほか音楽が多用されていた。あの音楽が良いのだけど、音楽が無くてもいいなぁと思った。もっと風の音だけを聴きたいとさえ思った。あの風はどうやっているのだろう。自然のものなのだろうか。だとしたらすごい。人工的なものだとしたらなおさらすごいけど。僕が大好きな小栗康平監督の『埋もれ木』は、木々が揺れるシーンを撮影するためにヘリコプターを飛ばして、そのヘリの羽の回転で木々を揺らしていた。半端ない。そして熱々のジャガイモを食う。ハフハフだべるのだけど、それが、ラストを際立たせる。日々の営みが繰り返されるようで、それは確実に変化をしていく。それも緩やかに下降線を描いて。残酷なほどそれを冷静に見つめる。


で、日々の仕事をしつつ、関わった脚本に関する件も考えつつ。そのために井筒和幸監督の『パッチギ』を観たり、サミュエル•L•ジャクソン主演の『ブラック•スネーク•モーン』を久しぶりに見返したりしている。仕事の一環で決して愉楽のためではない。とはいえ、創作のためのことは楽しい。


で、年賀状には手をつけれない。