東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『年末の雨の夜に』

ずっと雨の一日。こんなに、年末って雨が降るものだったろうか。久しぶりに家でゆっくりとする。主に娘子とぼんやりと。娘子はぬいぐるみ、ボールペン、オモチャ、コップと次から次へと何かを出して来てはそれで遊ぼうとする。元気いっぱい。昼寝をするかと思いきや全然しない。明日は早朝から、嫁の実家の山形へ行く。すこしばかりゆっくりとする時間。


年賀状を一切手をつけていない。昨年、一昨年はおさむしに写真を撮ってもらいそれを年賀はがきにしたのだけど、今年はそんな余裕もなかった。そもそもパソコンを新しくしてからイラストレータphotoshopがなく、作業が出来ない。出来ないなぁと思い日が過ぎていく。年賀はがきのことはまた年明けに考えようと思う。


思い返せば、昨年の今頃は仕事を辞めてた直後だ。正確に言うと有給消化に突入したところなのだけど、確か1月はしばらく山形でゆっくりしていたと思う。特に不安などなく、ゆっくり出来ることを満喫していたと思う。先日、家で行ったクリスマスパーティーの時、来てくれたIさんに6ヶ月ほど無職だったことを言うと「勇気あるな」と言われたけど、特にそういったことではなく、もう辞めようと思い辞めてしまい、6ヶ月間、ずっと嫁や娘といた。4月以降はさすがに、仕事がきまらねぇなと思ったけれど。


娘子と平日の午前中に公園に行くのが楽しかった。砂場でいつも遊んでいた。桜の季節、花散らしの風が吹いて、桜の花がキラキラと舞うのをぼんやりと見ていた。それが本当に幸福だったように思うのだけど、今、思い返してそれがなんだか現実感ないし、やけに遠い過去のように思えてくる。僕でさえそうなのだから、娘子はその6ヶ月の砂場の父親との記憶など覚えてないだろう。いつか、少しばかり大きくなった娘子にそんなことをたずねてみたいと思う。


仕事が始まってからは、バタバタとしていた。とあるきっかけから脚本を書き始めて、日中は仕事、夜は脚本書きとせわしない日々を過ごしていた。ただ、脚本を書いたのは本当に楽しかった。最初は、ただひたすらガムシャラに書いていた。スタッフの方とディスカッションを重ねるなかで、意識的になった書き直した部分もあったけど、根本的にはガムシャラな作品だと思う。まだ、どうなるか未知数だけど、とにかく本当にその脚本と共に走った。


で、平行して谷川さんから頼まれた映像を製作していた。僕の映像のスキルなんて、本当に対したこと無い。そんな僕に、門出となる映像を頼むのだから谷川さんもアレだけど、『東京の果て』や僕と嫁氏の結婚のお祝いをしてくれたことをどこかで返したいと思っていたので、こっちもガムシャラにやった。一緒にいろいろ撮影にまわり、撮れるだけのものは撮った。なにより、谷川さんとその奥さんであるHさんの2人が一生懸命いろいろ撮影してきてくれた。電話越しに多少喧嘩もしたけど、本当に良いものを作れればと、出来ることはやった。カメラの不具合や、書き出したムービーのコマ数の問題など、個人的には反省が多い作品だったけど、多少なりとも2人の門出を祝えたのならば幸いだなぁと思う。脚本と編集の同時並行が続いた日々は、本当に死ぬかと思ったけど。


で、仕事の方でもまた別の映像を編集していた。そっちにしても、僕の全力は出したのだけど、もっとプロフェッショナルとしてやっている人からすれば、ちゃっちいものに映るかもしれない。が、これが精一杯。やはりもっといろいろ勉強せねばと思う。例えば、この空気公団のPVは、ワンカットの撮影だけど、機材にしてもフォーカス送りにしてもいろいろな部分でしっかりプロフェッショナルだし、この幸福感はなんだろう。


なんにせよ、生きて行くには働かねばならないけれど、そればかりではアレだなと思う。気ままに遊ぶってことではなく、もっといろいろ作りたい。映画の脚本も、映像も。そして、やはり僕自身の根本は舞台だと思うし。


書きたい舞台用の脚本の構想がある。そして、映像化したい漫画があり、その脚本も書いてみたいと思う。やりたいことはたくさんある。勉強もしたいし、もっと映画も舞台も観たい。仕事を始めてからの俺の映画館や劇場へ行った回数はどうなんだ。というか一つも観てないのではないか。


去年の今頃、考えもしないところにいるけれど、こうやって日記を書いているのは変わらず自分の机の上。なんにせよ、少しばかりは前に進んでいるような気がする。きっと僕はこんな速度なんだろう。こんな速度でいい。ゆっくり、停まっているような速度で物事をみたい。


そういうわけで、今年はこれでこの日記は終わるだろう。
来年もモロモロ、進んで行ければと思う