東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雪の日にエレニの帰郷』

嫁と娘が、山形の新庄市で行なわれる祭りに合わせて帰省した。猫のみぞれと留守番。といっても仕事があれば、でかける身上。その意味では留守は猫に任せている我が家。娘がいないと静かだ。寂しいなと思いつつ、TSUTAYAで借りたDVDなどを観たりもする。映画を観るぜ、観れるときに。


それにしても投票に行った翌日(3日)の月曜の暖かさはどこへ行ったのか。今朝、予報通りの雪になった東京はやけに寒かった。そして雪の降り方も半端無かった。雪国かよ、というぐらいに。僕だけ山形に行けなかったわけだけど、気分的には行ったような気にさせる。で、外へ出ると雪かきを塵取りでしている人たちをチラホラみた。雪国の方が使用されるようなスコップなどはさすがに持っている人が少ない。そりゃそうだろう。なにせ、使わない。そういえば、雪による電車の遅延も目立ったが、そんな中、都電荒川線のみ「平常運行」という表示で走っていた。都電、思わぬところで強みを発揮していた。


こんな雪の日だということを計ったわけではないのだけど、新宿バルト9に、テオ・アンゲロプロス監督の『エレニの帰郷』を観に行った。

映画監督役である、ウィレム・デフォーがフィルムを見つめるシーンにタイトルがのっかり映画は始まる。
「私は物語の中でのみ存在する」と劇中でも語る映画監督は、物語の中にいる。常に目撃者として。行動を起こすのは、彼の父であり、母であり、妻であり、孫。映画監督はそれを見ている。

映画は、現在と過去の境目をあっさりと飛び越えて進行していく。
年老いた父と、若い母が出会う。年老いた映画監督と、ほぼ同年齢と思える母が会う。そういった時間を超えた出会いがいくとも描かれる。

孫のエレニの部屋は、はっきりとしたセットであることが提示される。
物語のラスト、そのセットの部屋で、横たわる二人のエレニ(祖母と孫)。
窓が全開に開かれて、合成とはっきり判る雪降るベルリンの街が向こうに見える。
「行こう」と声をかける祖父の手を掴むのは、孫であるエレニ。
物語の中で、幾度も離ればなれになった二人が、時間を超えて手をとる。

そしてセットとCGの物語世界から飛び出したかのように、現実の場所を二人で走るシーンへつながる。
その2人が笑顔であることが、希望のように思える。

そういうわけで、刺激をやけに受けた作品だったのだけど、それにしても驚いたのは東京での公開館数が1館のみということ。遺作だぜ、テオ・アンゲロプロスの。どうしたっていうんだ、渋谷や有楽町。しかも公開2週目にして、早くも1日2回のみの上映。残念だなと思うものの、商業的観点から行くと、それくらいの集客なのだろうか。すごく面白いのに。


で、他にもDVDをいくつか。「イージーライダー」「ミッドナイト・イン・パリ」そして、「トゥモローワールド」。「トゥモローワールド」が本当に面白くてびっくりした。面白いといっても笑えるとかそういうことではなく、息をのむ面白さ。長まわしによるすごみというものがある。目が離せなくなる。いやー、アルフォンソ・キュアロン監督。とても面白い。「ゼロ・グラビティ」も面白いし、久しぶりに監督名だけで観たいと思える。


そして、夜。いよいよ雪国のような風景に。それはそれでいいのだけど、明日はいよいよ都知事選。何よりも投票率だ。頼むからすごく高い投票率であってほしい。どんな結論でも投票率が高ければ、それは納得せねばならない。だけど、そうでなければ、、と考えてみても仕方なし。もう寝よう。明日は仕事なのだけど、果たして電車は動くのか。