東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2016年になって』

tokyomoon2016-01-05

年も明けて2016年。ここ数日は春のような気温らしく確かに厳しい寒さは無い。今朝は仕事の要件で早く起きて久しぶりに6時台に電車に乗った。まだ日も出ておらずあたりは暗いけれど当然起きている人はいるし、なんなら山手線はもう人もたくさん乗っている。


年末年始は穏やかに過ごせた。


31日。新婚の兄夫婦の新居にお邪魔する。レイクタウンという驚くほどでかいイオン系のショッピングモールのある場所からほど近いマンションで7階にある部屋からの見晴らしは良かった。言葉が悪いけど、かつては本当に何も無い場所だったのに、巨大なショッピングモールが建ってから急激な発展をして、驚くことに武蔵野線に駅が新設された。映画館もあるし、たくさんのお店もあり、近くには広い公園もある。それはそれで暮らす場所としても充実している。


兄夫婦の家から実家へ兄の車で移動。さりげにデカイ車を買っていて羨ましいけれど、東京だと駐車代もバカにならないので持っていても困る。実家に戻ると当然父と母がいる。父と母は4月にヨーロッパに旅行するらしい。羨ましい話だけど、父と母が2人で旅行に行くなんて話は聞いたことが無かった。息子の僕が言うことでもないだろうがコツコツと働いて真面目に日々を暮らしていた両親だった。仕事も辞めていわゆる年金生活を過ごしている今は楽しく暮らして欲しい。パスポートを持たない母のために準備で戸籍謄本を取ったらしく、それを見せてくれたが、そこには父を筆頭とした戸籍から僕や兄は除籍になりつつ、僕を筆頭とした嫁と娘の名前と、兄を筆頭とした義姉の名前がある新しい戸籍があり、ここにいわゆる大きな血筋の系図のようなものがあり、なんだか不思議な気分。


モタモタと作っていた年賀ハガキ。といっても裏面の絵は娘が描いたので宛名くらいしか書いてないものなのだけど、それでも年末ギリギリ。ポストに出しに行く。実家の付近もいろいろ変わってきている。僕が住んでいた頃はあたりは田んぼだらけだったのだけど今ではすっかり道路ばかりになり、スーパーやドラッグストアも建った。その分、遊んでいた公園も無くなりどっちが良いのかはよくわからない。ポストのある近くでふと上を見上げると巨大な鉄塔がある。そういえばそうだったと思う。家の前のあたりを巨大な鉄塔が縦断していた。かつてはそれほど意識したわけではなかったけど、どれほど町の形が変わっても、鉄塔だけは今も変わらずあり、これからも町は変わっていくのだろうけど、鉄塔は変わらずにあるのだろうなぁ、などと改めて思った。


それから大きな家族で夕食。夕食後になんとなく写真でも撮ろうと思い、みんなで写真を撮った。あまりそういう集合写真など撮ったことはなかったけれど、なんというかこういう写真もあっても良いだろうと思った。写真を撮ったら父がデータをくれと言ってきた。


1日。実家から今度は嫁の実家の山形へ。嫁と娘と猫を2匹。他にも2匹猫がいたのだけどさすがに多すぎるので近所に住む友人に2匹、託させてもらった。猫4匹もいると遠出は難しいものだ。


元日は車内は空いていた。すっかり老年のみぞれは電車移動も慣れたものでジッとしているのだが、もう一匹の子猫は長距離移動も初めてなのでニャァニャァと泣いていた。しばし辛抱してくれと思うが、約6時間くらいキャリーバッグに閉じ込められるわけだから、それは窮屈だと思う。車窓からの風景はあっという間にのどかになっていく。福島から山形方面へ向かう山越えあたりでやっと雪が積もっていたけれど、米沢あたりから山形市内に入ってくると雪が無くなった。これほど雪が少ないのはあまり印象に無い。嫁の実家の新庄市に近づくと次第に雪が積もってきたけれど、義父さん曰く「これくらいの雪だとほぼ降ってない」とのこと。


娘と遊ぶ従兄弟の子供たちと「戦いごっこ」なるものをやり、僕は敵役として子供たちをブンブンと振り回し布団に投げていく。かつて自分もそういうことをやってもらえると楽しかったことを、今度は子供たちにやる。子供達は「もう一回もう一回」と嬉々として言う。そして、オモチャの刀みたいなものでバシバシと叩いてくるがそれは本当に痛い。


夜は飲みの場となる。僕はほどほどに飲んでいるけれど、義父さんは本当にたくさん飲んでいる。それで饒舌になってくる。それで夜も遅くなり子供たちは寝て、そろそろお開きとなりそうな頃に、義父さんが小さなうちの飼い猫をみながらポロっと呟くように言う。「生き物は一匹だけにしとけな」。それは冷たい言い方ではもちろん無いし、こちらを攻めているわけではないのだけど、野良猫を三匹も拾って飼ったことに対して、少しばかりの非難の響きがあったように思う。どうしよもないことがある、助けられないこともある、とも言っていた。その言葉に嫁は反論をしていた。どちらも間違いではない。正解なんてわからない中で、それぞれ自分の判断で物事を決めていかねばならない。義父さんは酔ってまどろんでいた。お酒には強い人だけど、強い分、飲む量が多い。それだけ飲むと酔いも回るだろうというくらい飲んでいた。小さい猫はテーブルの下の暖かい場所で眠っていた。義父さんはその猫の頭を優しく撫でてから寝室へ向かった。


二泊三日で温泉は二回。美味しい料理をたくさん食べて、ほどよく正月太りをして3日に帰京。新幹線は当然のように混んでいて、指定席も取れず、自由席もあっという間に満席になった。通路に立って帰ることに。お一人、ご年配の老人も通路に立つことになった。ホームまで見送りにきた男性は息子だろうか、30代後半から40代のように思える。「疲れたらこのバックの上に座っていいからね」と言ってホームへ去っていった。老人は「ああ」と呟くように返した。「またね」的な別れの挨拶などは交わしてなかった。老人はすぐにバックに腰を下ろした。それからしばらくしてまたそちらを見ると、老人がどかっと床に寝そべっている姿が見えた。ホームから乗り込む人たちが迷惑そうに避けて進む。当然、立っているスペースが狭くなるし、大型のスーツケースを押している人にとっては迷惑以外の何者でもない。周りの人たちからも困ったなという空気は流れるもののそれを誰も口には出来ない。老人は微動だにしない。いくつも駅を過ぎ、その度に乗り込む人、降りる人たちが老人の上を歩いていくが、老人は起きず眠っている。よからぬ想像もするけれど凝視するわけにもいかず、ただ盗み見るように見ている分には、寝ているだけなのか判然としない。やがて自分の下車駅に着き、僕も他の人と同じように老人をまたいでホームに降りた。東京は暖かく、北国ではとても脱げなかった上着を着ているままでは汗ばむくらいの陽気だった。


それにしてもしばらく放置していた日記は長くなる。