東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『この年の瀬に思うこと』

tokyomoon2015-12-27

先日、とある仕事で会合のようなものに参加させていただいた際に、以前にお仕事を一度ご一緒した俳優さんがいた。5日間の短い撮影の映画だったけど、企画から携わり、撮影の制作進行もやっていた作品だった。その俳優さんにとっては数ある仕事のうちの1つというものだろうと思っていると、その俳優さんも僕のことを覚えていてくれて挨拶をしてくれた。今は僕の方がまた違う仕事をしていて人生何が起こるか分かったものではないけれど、こうやって不意な再会をするのは幸いだ。でも、僕がオロオロしてしまいきちんと挨拶できなかった、こういうところで謎の人見知りはいかがなものか、自分よ。


今でも思い出すととても製作面でとてもハードな現場だった。とある方のアーティストデビューとなる作品の立ち上げという重圧もありつつ、デビューだからこそ試みることができる自由度もありやり甲斐があった。猛烈に忙しく倒れそうになりながらパソコンで編集作業をしていると職場が大きく揺れた。東日本大震災だった。そういった時期の記憶もあり、今もいろいろ思い出す。


このところ、なんだか人がお亡くなりになることに関する出来事やニュースを目にする。


ET-KINGというアーティストのメンバーが若くしてお亡くなりになられたことをメンバーのお一人が振り返るネット記事(http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakanishimasao/20151217-00052525/)があった。メンバーの急死という事態にどうしていいかわからなくなっていたとき、救いの言葉となったのは亡くなられたメンバーのお母さんの言葉だったという。

「大丈夫やで。離れてないから。また会えるし。ちょっと遠いところにおるだけや」

この言葉で救われたとおっしゃっていた。僕自身、なんというか根拠なんておそらく無いだろうこの言葉の、けれど自分の中に確固としたものがあるからこそ発することができるこの言葉の強さのようなものに強く惹かれる。


それとはまた別に。僕の職場の上司のお母さんがずっと体調不良で入院しており、どうやらここ数日が山場だろうという時期がきてしまったとのことで、その上司はお母さんにつきっきりになっていたとのこと。本来ならお亡くなりになられた後に出てくるという角膜の壊死、死斑というものが、まだ生きているうちに出てきたとのことで、お医者さんでさえ驚く生命力だったのだという。生きることの強さ、不思議というものに直面したと、立ち会われた上司がおっしゃっていた。


そして、昨日はたまたまつけていたテレビで、女優の田中好子さんがお亡くなりになる3週間前に吹き込んだという声のメッセージを紹介する番組を観た。死というとてつもないものが目の前にある中で、言葉を残すということはどういうことなのだろう。その計り知れなさに、ただただ圧倒される思い。そして、その残された言葉について考える。写真やドラマのシーンの抜粋のように記録とは異なる、残されることを目的とした、残された方へ向けたその言葉は、戻ることは決してなく、どこへ行くのだろう。


なんだか、そんなことをいろいろと考える年の瀬。