東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『父の四十九日』

11月3日。祝日。父が亡くなって四十九日。使う言葉が違うかもしれないが、うまい具合に祝日。そして、実はこの日が父の誕生日だった。本当であれば七十二歳の誕生日。その日に四十九日を迎えるのも、何か、不思議な縁を感じる。縁と言っていいのかわからないけれど。

 

母のこともあったので、四十九日はとりあえず母が元気になってから何かするか、と兄と相談しており、特に何もする予定ではなかったのだけど、叔母から「せめてみんなでお線香をあげよう」と呼び掛けてもらい、ぐずぐずしていた僕や兄は、家族を連れて実家へと向かった次第だった。兄の子供たちと、うちの娘も久しぶりに再会。娘たちはすぐに仲良くなりいろいろと遊び始める。実家の1階と2階を走って行ったり来たりする。が、僕の顔を見ると兄の娘は硬直し、怯えたように姿を隠す。まぁそれはそうだろうなぁ。でかいおっさんは怖かろう。父が亡くなり、母が入院してからあっという間に一月以上が経って、その間、実家は人が誰もいなくなっていた。戸締りは当然するので、日中も陽が射さない。2人がいて、当たり前のような生活があったのが、一気に二人ともいなくなってしまい、すると、不思議なもので、なんだか家がすっかり、なんだか古びていくような感じがある。鍵を開けて玄関を開いても、そのひと気の無さにびっくりするし、戸締りをして真っ暗な部屋を見ると、その暗さに、「あった」ものが「無くなる」という事実をまざまざと見せつけられた思いになる。

 

そんな実家に、久しぶりに子供たちの笑い声が響いて、陽も当たり、それだけでなんだか有難い気持ちになる。かつて娘のために父と母が買ってくれたおもちゃの数々。実家に来た時だけ遊べるそれらのおもちゃを小さかった娘も楽しみにしていた。それで今、小さい兄の娘が楽しく遊んでいる。叔母の呼びかけで家族が集まる。父はもういない。母もこの先どうなるのかまだ判然としない。だけど、葬儀を経て父の親族の人たちと交流できたし、母の入院によって母の伯父叔母たちと連絡もたくさん取るようになった。変わるものは仕方がない。僕もどんどん歳を重ねていく。だけど、新しいつながりや、子供達の関係性もできてくる。そういうものなのだろうなぁと思う。

 

そういった具合で、少しばかりの時間ではあったけれど、父の四十九日は賑やかに行わせてもらえた。叔母さんには本当に感謝。帰り。娘たちは疲れてぐったりして眠っていた。