東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『実家に戻って』

週末。実家へ戻る。母のリハビリのための転院先が決まり、その準備で母の着替えや宿泊道具などを用意するために実家に帰る。まずポストがチラシや郵送物でいっぱい。そして鍵をあけると当たり前だけど、真っ暗。防犯のためにシャッターも閉めていたし。しばらく放置していた父の仏壇。花も一部、すっかり枯れていた。水を入れ替えてお線香を炊く。枯れた花を処分する。

 

最初は、入院して一週間程度、すくなくとも10月頭には退院できるだろうと思っていたので、冷蔵庫の中もまだ少し飲み物や食べ物も残っていたが、賞味期限が切れたものなどを申し訳ないが処分。ポストに入っていた支払い明細などを確認。それと連絡が欲しいという旨が記載されたハガキなども届いていたので、そこの電話番号に連絡をして事情を話す。

 

母の着替えなどを箪笥から出していろいろ用意。どのくらいの用意が必要かはっきりしないので、できるだけ袋につめる。それから掃除機をかける。人はいなかったはずなのに、不思議と掃除機にはゴミがたまってくる。この埃はどこから出てくるのか。

 

それから隣に住む顔見知りのお隣さんに事情を伝えるために挨拶へ行く。と、自治会費の集金がある旨を伺い、それも支払う。かかるね、人が暮らしていくにはお金が。いたるところで。もちろんそれは仕方がないのだけど。

 

で、いろいろ片付けや準備が終わる。日曜日は晴れたので陽射しが家の中に入ってくる。実家の周りは大きな建物もないので日がよく当たる。晴れると朝から陽射しが入り、日中は暖かい。父の位牌がある部屋も陽射しが入る。いろいろ準備ができて、戸締りをするため、窓とシャッターを閉めると陽射しが入っていた部屋が途端に暗くなる。9月の中頃まで、ここは父と母が暮らしていた。何事もないのんびりとした年金生活がそこにはあった。父は有人とゴルフに行く予定を立てていた。9月の連休には兄の家族が遊びに来る予定だった。家の柱には僕たち家族が遊びに来た時に、娘の身長を測る柱があった。家を建て替えたのは20年ほど前だ。もう新築とは言えないが、それでも大切に使ってきた家で、まだまだ結構きれいではある。娘が遊びに来ると、そんな綺麗な家の柱に、娘の身長を測り父と母は平気で鉛筆で線を引いた。

 

それが今、生活感がどんどんなくなっていく。家の中に掃除機をかけて、冷蔵庫の中の食べ物を処分していく。父の位牌を見る。四十九日もあげることもひとまず延期をした。お寺や兄と相談して決めた。母もまだまだ入院をする。この先、どういう風に体調が回復するのか、それともしないのか、先行きわからない。父の遺影を見て「もうしばらくいてもらうから、申し訳ないけど、母をちゃんと見ててほしい」と、思わず口からこぼした。心で言うではなく、言葉にだしていた。それでなんだか泣けてきた。

 

鍵を閉めて、大きな荷物を抱えて電車に乗る。ちょっとした不審者ではないかと恥ずかしい気持ちになる。地元の電車の車窓から、鉄塔が見える。その向こうにどこかの山々が見える。冬が近づいている。空気が澄んでくると、遠くの山々が見えてくる。

 

三ノ輪駅で降りて、都電に乗り換える。帰る方法を考えたとき、ゆっくり帰ろうかと思った。三ノ輪橋から都電に乗ると、ぶつぶつと何かをずっと言葉にしているご年配の方が座っていた。三ノ輪橋から50分ほど揺られると最寄り駅に着く。降りると、夕焼けの茜色が鱗雲のような平べったい空にあった。家に帰ると、それが黄金色になって光っているようで、なんだか綺麗だった。日曜の夕方、静かに少しずつ夜になっていく。なんだか少しだけふーっと息を吐いて落ち着ける時間だった。

 

夜になると少し肌寒くなってきた。まだ冬には早い気がするけれど、一枚羽織らないと肌寒い。そんな夜。