東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母とのやりとり』

朝6時過ぎに窓からの光が眩しくて目が覚める。まだ眠かったのでトイレに行ってもうひと眠りしようと思ったけれど、母がすでに起きていたので、そのまま話をする。昨夜よりは少し元気な様子だったが、それでも表情が硬い。

窓の外をやけに気にする。カラスがこっちを見ているという。母に言われて、窓の外を見ると電信柱にカラスが止まっているが、なぜ母がそのカラスをそこまで気にするのかがわからない。しきりに「見られている」という。そして、そうやって気にして窓の外をみていることを、外にいる人に気味悪がられていると思っている。

冷蔵庫を開けると、やけに多くの500mlの水のペットボトルが入っている。しかし、母はその水に手をつけない。ヘルパーさんに頼んでいるお弁当が臭い、腐っているという。それを食べれずにゴミに捨てたいのだけれど、ゴミの日まで時間があると、冷蔵庫に入れておくのだという。その臭いでペットボトルが腐って水もダメになっているという。しかし、ペットボトルは開けてもいない。腐るはずがないのだが、それでも母は頑なに腐っているという。それで、近所のスーパーに箱でペットボトルをまとめ買いをしてほしいと言ってくる。それで買いに行く。他にも頼まれたリンゴなどと一緒に、箱買いしたペットボトルを買って、その買い物帰り、家に戻ろうと歩き出す。ふと、家の方に目を向ける。スーパーは家と道路を挟んだ向こう側にあり、家が見える。すると、窓のところに立って母がこちらを見ていることがわかる。確かに窓の前に立っていると、そこに母がじっと立っていることは外からわかった。

家に戻ると、「窓のところで見ていたこと、気が付いた?」と聞かれた。「気が付かなかった」と答えた。母は喉が渇いていたようで、さっそく箱から新しく買ったペットボトルを開けて水を飲んだ。すると「味が冷蔵庫の水とかわらない」という。「でしょ」と僕もかえした。気にすることはないし、どの水も一緒なのだと言おうと思ったら、母は水を飲むのを止めて、このペットボトルも腐っていると言い出す。そんなはずはないのだ。買ったばかりだし。なぜそういうことを言うんだと、少し語気を強めて言ってしまう。母はしきりに「だって腐っている」と繰り返す。そんなはずはないのだ。そもそも、開封もしてないペットボトルで賞味期限もまだ1年以上ある。腐るはずがない。そんなことを言わないでくれと言うと、母は悲しそうな顔をして、怒らないでという。

どうしようもない気持ちになるが、仕事へ行かねばならない時間が近づいており、そろそろ出ないといけないという。母は傍にいてほしいということを言っていたが、そうもいかず、父の仏前に挨拶をしていこうとすると、仏前にはさっき買ったリンゴが供えてあった。

荷物を持って家を出る。母は外へはもう見送りに行けないといいつつ、玄関前まで僕を見送ってじっと見ていた。

駅へ向かう途中、以前まで帰るたびになんとなく写真を撮っていた桜の樹を撮影する。毎月ルーティンのように撮っていたけれど、先月は撮れてなかった。制服をきた学生が父兄を連れて歩いている姿がたくさん目に入った。みんなおそらく、僕が卒業した高校へ向かっている。おそらく中学生で、学校説明会があるのだろう。そんなのあったっけ?と思い出してみるがまったく覚えていない。母か、もしくは父と、そんな説明会に参加したことがあっただろうか。なにせ、25年近く前のことだ。覚えていない。

仕事で葛西の方へ向かう。武蔵野線で一気に海側へ。ないあがらせっとの「グッドオータム」を聴きながら。葛西で仕事を一つ終えてから、せっかく海沿いへ来たので、葛西臨海公園の海辺へ。仕事を一緒に行った23歳の男性も一緒に行きたいというので、フラフラと2人で砂浜へ。北風が強めに吹いていたけれど、陽射しがあり、肌寒さは感じない。風がなければ、汗ばむくらいの陽気だったかもしれない。その男性と映画の話などいろいろ。しっかりしているなぁと感心する。自分が23歳の頃なんて、適当なことばかりしていた。

少し日が傾きだして、さすがにやや肌寒くなってきたので、帰路へ。

帰りの電車でやけに疲れた気がして、車内で座ったらすぐに寝てしまった。考えてみたら今朝は少し早起きをしていた。