東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『月曜日』

月曜。車が結構、走る音で目が覚める。リビングに降りると、母と兄がすでに朝食を食べていた。普段通りの朝ごはん。当たり前のように母がご飯を作ってくれるのが申し訳ない。

 

それから少し職場へ。昨夜のうちに事情は話していたし、代われるところはいろいろとお願いはしていたけれど、パソコンのバッテリーや、他にも必要な書類など、持っていないといろいろ支障がでるものを取りに職場へ。普段、自分の家から通うのは、40分程度なのだけど、実家からだと1時間半程度、かかる。それでも、父は、何十年もその時間を通勤にあてて働いていたのだ。職場にいけば、案の定、いろいろとやることが増えて、予想よりもバタバタし、埒が明かないので、一区切りつけて、会社を出る。やけに暑く、少し歩くだけで汗が噴き出る。

 

ひとまず、家へ。嫁さんに昨日の状況を話して、それから着替えなど、数日分をバッグに詰めて、すぐに家を出る。意外と時間が経っていて、母や兄と約束をしていた面会時間の待ち合わせにギリギリになっていた。池袋から埼玉方面へ。実家に行くときにいつも使う電車。平日の日中にいる人たちは、どういう人たちなのだろう。

 

病院のある駅へ着く。昨日と違い道もわかっているので、まっすぐに病院へ。15時になっても兄も母も見当たらないので、電話をかけるとすでに1階の受付にいるとのこと。そこへ行くと、母が着替えやおむつなど入院の準備を持っていた。そして埼玉に住む、母の妹、つまり叔母もきてくれていた。4人で面会へ。昨日と違い、日中で看護師さんたちも多い。父の表情は昨日に比べると落ち着いていて、昨日の夜は僕も悲観的なことを言ったけれど、治療次第でなんとかなるのではないかと思えた。

 

面会が終わると、また先生から話があるといわれて、待つことになった。しばらくしてから昨日と同じ部屋へ案内される。お医者さんも看護師さんも昨日の人とは別の人。もちろん、先生たちもつきっきりというわけにはいかないし、どうやら『チーム』で動いているという。

 

脳の機能が戻らない。そして人工心肺を動かしているが、肺にも水が溜まり始めているし、血がどんどん浸みだしてしまっているのだという。引き続き、治療は続けることはできるが、現状は、かなり厳しい状況なのだという。この日、説明をしてくれたお医者さんはしっかりとそう、僕たちに説明をしてくれた。おそらくこれまでも多くの現場を経験し、多くの難しい患者さんを診てきているのだと思う。その言葉には、はっきりと事情を説明しようとする強さがあった。

 

いくらか、希望的な、わずかではあっても、もしかしたら、と思っていたところだったので、なんとも茫然とした。強い言葉でしっかりと言われた分、僕らも誰も聞き返すこともできなかった。脳も、心臓も、現時点では、ほとんど機能していないのだという。人工心肺という機械によって動かされている状態なのだという。

 

状況によっては、明日、もしくは明後日にも緊急で呼び出す可能性があります。

 

そういわれて、病院を出た。まだ、陽もあり、明るい。平日の夕方で、買い物をしている人たちもいるだろうから、賑やかだった。叔母と少しばかり話をして駅でわかれた。帰りの電車は混んでいたけれど、1人分だけ空いていたので、母をそこに座らせた。兄とすこしばかり話をしたが、「厳しいのかもなぁ」と兄も弱音を吐いていた。

 

地元の駅に着いた。母は自転車で来ていたので、自転車置き場へむかった。僕と兄は家に向かって歩く。子供のころ、何度歩いた道だろうか。駅前は結果的に、微妙に廃れているように思えた。以前は、店舗がはいっていた駅近くのビルはいつまでもがらんどうで、居酒屋やパチンコ屋とかしか開いていない。駅から少し歩くと、国道とぶつかる。車は結構走っていて、騒がしい。高いビルはなく、空が広い。ガソリンスタンドがある。空を見上げると、もう鱗雲のような秋の空で、夕暮れの、黄色にきらきらした空が広がっている。東京に比べると空が広い。後ろから呼びかけられる。自転車に乗った母が「荷物、いれる?」と聞いてくれたので、リュックをつませてもらった。軽くなって、少しだけホッとする。

 

母は、先に家に向かい、僕は兄とぼんやりしながら歩いて帰った。夜は、母がまた料理を作てくれた。父と食べるはずだった牛肉や、野菜。父は肉が好きで、家ではよく牛肉が出ていた。母はあまり料理が得意ではないので、シンプルに焼いて、焼肉のたれをかける。それでも美味しいので、別に家族は誰も文句を言わなかった。ご飯を食べていると、母の携帯が鳴る。一気に緊張するが、登録の無い電話は迷惑電話にしているため、すぐに出れなかった。兄が改めて、電話をかけると、父の携帯が、おむつや入院先で預けた袋に入りっぱなしだったらしく、心配して連絡をくれたのだという。家族全員でほっとした。病院から夜に電話がかかってくる理由なんて一つしかないと思ったから。

 

その日は、ひとまず、それ以降、電話はなく、シャワーを浴びて、それぞれまた、布団に入った。僕も、すぐに眠ってしまった。