東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母と15日』

少し早く起きて、久しぶりに実家へ。まず兄のところに寄る。実家は都内からだと国道4号を下れば良いのだけど、兄の家はやや道がわかりにくい。改めて地図を見ると、埼玉の道は、昔からの住宅や、おそらく田畑の作りに沿った道路になっていて、わりとうねうねとしている。

兄のところの娘たちは大きくなっていた。以前はベビーカーに乗って、物静かにしていた覚えがあるが、今日の娘たちは元気に歩いてきた。僕の名前は忘れていたが、「弟だよ」と話しかけると笑顔で笑ってくれて、その後は「けんすけさん」と呼んでくれた。

実家に帰るのは久しぶり。父の仏壇に線香をあげる。それからケアマネージャーさんに連れられて施設に入っている母が車でやってきた。

母が現在の老健に入って、かれこれ一年が経ち、施設のケアマネージャーさんからそろそろ次の施設をと話がでてきた。そこで、一度、自宅へ母を連れて話し合いを、という次第。僕自身は、母となかなか面会ができず、久しぶりの再会だった。施設入所時は、母が精神的にも落ちてしまっていた時期で、その頃に比べるとだいぶ落ち着いているが、まだまだ、決して普通の暮らしができるような状況ではない。本来なら兄や僕がなんとかしなければならないはずなのだが、正直なところ、それぞれ今の生活の中に母を迎え入れる余裕が無い。母自身、おそらく一年半ぶりくらいの実家なのだが、それほど感情的になる素振りもなく、黙々と父の墓前に線香をあげていた。久しぶりの長距離移動に疲れたようでで、早く施設に帰りたい様子だった。ここで、母から「家で暮らしたい」と希望が出たら、僕らも考えなければならなかったのだが、そうでもないテンションだった。邪推だが、ケアマネージャーさんたちも実家に来ることで、母のそういう気持ちを芽生えさせようとしていたのではないだろうか。なにせ、老憲に1年はだいぶ長い。向こうにしても、新しい入居希望者の受け入れをしたいのだろうし。とはいえ、もうしばらく老健にお世話になる方向でお願いした。どうなることか。

実家は、長らく人が住んでないので、なんだかどんどんいろいろと寂れていく。時計も止まっている。壁のカレンダーは2021年10月のままだ。そのカレンダーも捨てればいいのだが、捨てることさえ忘れたまま、父が急逝し、母が倒れたあの9月の、その翌月のまま、壁に貼られている。

それにしても、ここ一年近く、僕はあらゆることを兄に任せきりで、とても申し訳ない。時々の家の清掃なども兄がやってくれている。ケアマネさんとのやりとりも。仕事などを言い訳に面会にも行けてない。面会の予約が直近だと取れないこともあるのだけど、とはいえである。かつて、兄が単身赴任中で、僕が全てやっていた時は、週一で面会に行っていたし、そういうことが出来ないわけではないのだが、どうにもいろいろ言い訳して行かずにいた。

母は、周りの元気な同世代と比べるとかなり老け込んでしまっている。「もう、一人暮らしはさせられないだろう」と兄が言ったが、今のままではその通りだと思う。母自身に、そういつ生活に戻りたいという意志が無いのも悩ましい。

母を見送り、兄の家族を送る。それから、ふと、海が見たくなり、海の見える場所へ行く。たまたま地図で見つけた、灯台のある公園。地元の人しかいないような静かな場所。見晴らしが良く、コンテナを積む埠頭が一望できる。風は潮風でベタつくが、それはそれでこの季節のものだなと思う。鼠色の雨雲が通り雨を降らす。猛烈な強い雨が降ったり止んだり。台風7号は関東直撃はそれたものの、その影響による雨なのか、よくわからない。腹が減って、その街のファミレスみたいなところに入る。帰宅して一息ついていると、とてつもなく強い雨が降ってきて、開けた窓から雨が入ってくるので、慌てて窓を閉める。これで台風が直撃しているわけではないので、直撃しているところは大変なのかもしれない。

終戦記念日だった。戦争からも遠く離れて、いろいろなことに鈍くなっている。

ひとまず、唯一の盆らしい一日