東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『日曜日』

その日曜は朝から仕事で、なんなら普段より早く家を出た。いつもと違って少しだけしっかり目の服を着て。まだ長袖では蒸し暑い。それでいろいろバタバタと仕事をして、ひと段落したのが夕方ごろ。週明けの準備をしてから、少し打合せをしていた。それが終わったのが19時過ぎで、そろそろ帰る準備をしようとしたとき、ようやく自分の携帯に着信と、LINEの通知が来ていたことに気づいた。母から着信、それから兄から着信。そして兄からLINE。LINEを見ると、父が倒れたとあり、すぐに母に連絡を、と記載がある。慌てて、母に電話をかけると、母は数コールで出た。

 

父が倒れて病院にきているという。

 

それで、僕も急いで職場を出て、普段乗る電車とは別に、実家の方向へ向かう電車に乗る。日曜の20時前後。恵比寿駅はそれなりに賑やかで、人にぶつかりそうになる。兄に連絡をすると、兄も移動をしているという。兄は地方に単身赴任中でもうすぐ東京へ着くという。東京で働く僕よりも、地方に住む兄の方が先に着くのだから、なんだか不思議な気持ちになる。それから嫁に連絡。ひとまず、今日は戻らないだろうという連絡。その後、明日以降の仕事のことでいくつか連絡。お願いできるものはお願いし、そうじゃないところはいろいろと連絡をしていく。地下鉄が終わると、私鉄へ乗り換える。実家に戻るのはコロナということもあり控えていたから、いつ以来だろうか。年末年始に戻った気もするけれど、はっきり覚えてない。準急に乗り換えるため、ホームを走る。私鉄は、人もまばらでそれほど混雑しておらず、座ることができた。マスクをしている大半の乗客の人たちは、みんなスマホに目をやりうつむきがち。僕もたまにスマホを見るけれど、どうにも意識が集中できず、すぐに目を外す。外の風景は住宅街の町灯りが見えるだけで、圧倒的に車内の方が明るいので、僕らの姿が窓に反射して映っている。マスクをしている僕の浮ついた顔が黒い風景に張り付いている。

 

病院がある駅に着く。その緊急病院はずっと以前に母が入院したときに使ったことがある病院だったけど、それはまだ中学生か高校生のころのことで、あまり覚えていない。駅から小走りで向かっても、いまいちピンとこない。緊急外来がどこかわからず、警備室に行き、事情を伝えると、警備の年配の男性たちは、それも日常という感じで、焦りもせず、段取り通り、入館に際して、名前を記載しろと指示をしてきて、バッチを渡してくる。それで、すでに人気も無い病院の中へ。緊急で搬送された患者さんがいる治療室は2階だというが最初どこにいけばいいのかよくわからず苦戦し、ようやく場所がわかって向かうと、その横にある関係者控室と表記がある場所に母と兄がいた。傍には、もう一組、家族の方がいた。

 

しばらくそこで待たされた。控室とは名ばかりで、以前は入院の患者さんがいた部屋だった。ベッドなどがなく、パイプ椅子と長テーブルが置いてある部屋。

 

父は午後2時頃に倒れたという。朝から普段は滅多に言わないけれど、体調が悪いということを母に漏らしていたという。それでも、疲れているだけだろうと思っていたところに、急に倒れた、という。すでにその時に心停止の状態で、急ぎ救急を呼ぼうとした母は気が動転し、まず110に連絡をしたのだという。そこから救急につないでくれて救急車がきて病院へ運ばれたとのこと。心臓の血管の一つが細くなってしまっており、急性心筋梗塞という症状だったとのこと。カテーテル手術という細くなった血管を広げる手術があったという。それを行うには家族の同意がいるとのこと。状況によって血管破裂という可能性もあるからだという。僕が出なかったので、母は兄に連絡をし、兄が手術を依頼し、執り行われた。カテーテル手術は成功したものの、父は心停止の状態だったので、心臓の動きが弱っていたので、その後、人工心肺をつけて機械の力で拍動を続けて、辛うじて生きている状態だった。

 

と、いうことを、しばらく待たされたあと、通された部屋で、お医者さんから説明を受けた。いわゆるインフォームドコンセントというやつだろう。お医者さんの横にいる看護師さんがずっとお医者さんのやりとりや、たまに僕らが聞く質問をメモしていくのだけど、そのボールペンを走らせる音が、カツカツとやけに響いていた。

 

それから、ようやく面会が許された。TVで見た覚えがある、緊急救命室。手で触れなくて済むように、足で開閉をする扉を開ける。ベッドがいくつかあり、寝ている人たちが数名いる。こういう部屋にいるくらいなので、それぞれ、それなりの症状の方々なのだろう。父は鼻や口に管がついており、人工的に動かされている血管の動きにあわせて、身体が振動していた。意識が無い中で、機械的に動いていることがわかり、それがあまりにも普段、見ている父の姿とは違い、言葉も出なかった。兄や母は何か声をかけていた。母に促されて僕も頃をかけろと言われたけれど、何を言えばよくわからなかった。

 

人工心肺は1週間、もって2週間ほどで。それぐらい使用すると、もう取り外さなければならないらしい。取り外すというのは、交換ができるということではなく、つまりは心肺機能と停止させるということであるため、取り外すタイミングで、父が自力で心臓が動くようにならないと、それはつまり終わりを意味するのだという。

 

コロナのこともあるし、緊急救命室ということもあって、僕らはすぐに退出し、明日また午後に面会ができるので、その時間に来てくれと言われ、僕たちは病院を出た。23時半ごろ。いつの間にか小雨がぱらついていた。傘をささなくても済むくらいの雨。ひとまずまだ電車が走っていたので、それに乗り、最寄りの駅へ。

 

母が、「何か食べなければ」というので、駅前のコンビニで夜ご飯と、それから歯ブラシを買う。コンタクトの洗浄液はなかった。地元の駅前はドラッグストアも閉まっていた。

 

それから帰宅。ひとまず、父の生命力を信じるしかない、ということを話しつつ、夜ご飯を食べて、僕と兄は二階へ。僕なりに、お医者さんの話を聞いて感じたことを兄と話す。もちろん、延命のための治療だ。それは大切だ。だけど、どこかで外す覚悟も必要なのではないかと。兄はそれを即否定した。そんなことあるわけないだろう。父親だぞ。できる限りのことをするんだ。止めるなんてそんなことできるかと。そんなこと、絶対にできないし、俺は考えもしなかった、と。

 

それから、その日は、それぞれ布団に入り、寝ることになった。疲れもあった。雨がぱらついていたけれど、蒸し暑かった。窓を開ける。以前は、たんぼからカエルの鳴き声がよく聞こえたけれど、田んぼがどんどんつぶれて、家や道路ができてからは、車の通る音ばかりが聞こえる。