東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『お医者さんかと思った』

27日(日)。久しぶりにゆっくりできる日だったので、掃除をしたり布団を干したりしていた。すると、初めてみる番号から着信がする。それで電話に出ると母の入院している病院からだった。主治医の人から説明を受けてほしいと連絡を受ける。明日15時から、とピンポイントで指定が。しかし、その時間は仕事が入っていてダメだったので、厳しい旨を伝えた。で、「今日なら行けます」と伝えると、じゃあ、今日、お願いします、と言われた。今日かぁ。予定が一気に入ってしまった。天気予報だと午後から晴れるというので、勇んで洗濯をし、外で昼寝しつつ小説でも読もうと思ったのだけど、できなくなった。まぁ、もちろん、説明を聞くのは大事だ。

 

それで午後になり準備をして、病院へ向かう。それにしても、埼玉方面へ行くのもずいぶん慣れた。9月に入ってから、果たして、どれほど、通っているだろうか。病院へ向かっていると雲間から晴れ間がでてきた。気持ち良くなりそう。そして病院の前には大きな鉄塔がある。それを見上げるのも気持ちが良い。

 

説明には、埼玉に住む叔母も立ち会ってくれた。心強い。病院の前で待ち合わせ。日曜なので一般外来が無く、休日窓口から入る。入ろうとするとき、サイレンが鳴り、一台の救急車が入ってきた。その対応があったのか、先生は約束の時間を少し過ぎてから現れた。

 

説明は以前に受けたものとほぼ変わらず、容態は少しずつ良くなっているという。言葉の受け答えはまだおぼつかないところはあるけれど、ゆっくりでも少しずつ返事があると言われた。とはいえ、すぐに退院はまだ難しそうなので、リハビリ科のある病院へ転院して、少しリハビリをするように薦められた。まぁ、それもありだろうと思った。相談すると面会をしていいと言われて、いろいろ話ができるだろうと思い、病室へ向かった。

 

病室へ入ると、少しぼーっとしている母と目が合ったが、母は言葉を発さなかった。それから僕を不思議そうな目で見る。母の妹にあたる叔母と言葉を交わすけれど、その話し方はどこか、おぼつかないしゃべり方。緊急入院した日の、朝の、いつもと変わらなかった母のしゃべり方とは全然違う。「転んでしまったんだねぇ」「大変だったんだねぇ」とそのことをあまり覚えていない母はどこか他人事のようにしゃべる。そして、なんというか、やけに幼いようで、そして、やけに老けたような話し方をする。そして、僕を見る。叔母が僕の名前を母に言う。「けんすけだよ」。それでも母の反応は薄く、マスクを少し外してみると、ようやく「ああ」と言葉にして、「お医者さんかと思った」と言った。

 

想像もしなかった。

 

あの日を境に、母は本当に変わってしまった。もちろん、脳に血が溜まってしまっていたのだ。それもわかる。そして、血を抜き、少しずつ治療していくしかないということもわかるけれど、ベッドで横になり、どこか弱弱しく、そのうえ、言葉もおぼつかない。葬儀があった前後、そして、それ以前の母とも全然違う。これほど変わるものなのかと、さすがに戸惑った。

 

お医者さんは運ばれた後の母しかわからない。だから違和感はないのだろう。こういう人なのだろうと。だから、歩けるようになるリハビリさえできれば退院できると言った。ただ、僕は以前の母を知っている。その母とはだいぶ違う。今の母では、とても一人で暮らすことはできない。暮らせられない。

 

ただ、僕や、叔母と話をしていると、少しずつだけど、思い出してきているのか、話がかみ合うようになってくる。ゆっくりと、記憶を思い出そうとしているのだと思う。

 

「大変なことが重なっちゃったね」と悲しそうに母は言う。父のことは把握していた。そして、やはり母は寂しかったのだと思う。少し寂しそうだなとは思ったけれど、それでも日々を過ごせば、徐々に慣れてくる、父のことも超えていけると思ったけれど、やはりとてつもないショックだったのだと思う。それが一気に噴出してしまったのだと思う。

 

しばらくしてから、「じゃあ、また来るね」と母に告げて、部屋を出る。母は僕らが出るのもあまりきちんと理解できてない様子だった。

 

叔母は僕を近くの駅まで送ってくれた。空はすっかり雲も無く、とても晴れて心地よい日曜の午後だった。病院は以前に暮らした街にあった。かつて通った駅への道。懐かしい気持ちもあるし、もう、覚えていない通りもある。変わってしまった店もある。「血色は良かった。少しずつだよ」と叔母は言ってくれる。前に進むしかない。

 

叔母と別れて、ひとまず電車に乗った。お腹が空いた。ふと、2駅過ぎた川口駅で降りた。急に川が見たくなって。兄に電話をして、状況を報告する。兄も戸惑っていた。もちろん、そうだろうと思う。電話をしているうちに荒川に出た。広い川。向こう河岸は東京北区。遠くにはスカイツリーも見える。川沿いには野球場の他に自動車教習所もある。日が傾いてきてるけど、陽射しはまだ眩しい。散歩をしている人たちや、ランニングをする人、たくさんの人がいる。

 

記憶は不思議だなぁと思う。母は直近の記憶が曖昧だった。僕の娘の名前も言ってみたけれど、思い出せてない様子だった。そして今の僕もわかってなかった。けんすけ、という名前はわかっていたし、実妹である叔母のことはわかっていた。つまり、昔からの記憶はしっかりしている。記憶が堆積していく表面の方の、今のことがグラスからこぼれてしまうように曖昧になるのだろう。面白いなぁと思う。

 

しばらく川べりでぼんやりしてから、橋を渡って、東京へ入った。雨雲が夕日を覆っていく。予報では20時過ぎから雨だと言っていた。気持ち良い空だったのに。赤羽岩淵から地下鉄に乗って地元へ帰り、嫁と娘と合流した。その頃には予報通り、雨が降り始めた。