東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『病院へ行ったり』

5日。早朝から起きて家族で大宮へ。リハビリ病院中の母が検査で別の病院へ診察に行く。新年ということもあり家族で母に会いに行く。病院への移動があるので、大宮でレンタカーを借りる。家族3名と母の合計4名で諸々移動を考えると、金額的にはちょっと出っ張る程度。あと、まぁ便利でもあるし。隣にあるコンビニに水などを買いに行こうとしたら、レンタカー屋さんから「そこの自販機でお安く売ってますよ」と店内の自販機を案内してもらう。水が50円だった。劇的に安い。

 

小さい車高の低い車は揺れが結構、直接感じられる。娘は僕の小さい頃に似て乗り物酔いをしやすいので、窓をあけて歌をうたって酔わないようにするという施策で臨んでいた。

 

母はすっかり普通に歩いており、傍目にも元気な人とかわりはない。入院当初の寝たきりのことを考えればとても元気で安心する。ということで、病院へ。大きな総合病院でいろいろなことがシステマティック。まぁ、そうしないと物事がまわらないのだろうが。

 

しかし、先方から「この日にくるように」と指示を受けてきたものの、毎日何十、何百(知らんけど)の新規患者さんを診る看護師さんたちにしてみれば、そんな指示は共有されているはずもなく「なんできたのですか?」とはじめましてのスタンスでいろいろ聞かれる。言葉にするのははばかられるが、極めて面倒だ。そして、結局、毎回やる検査を受けて、ふわっとした診断をされ、「引き続き、診ていきましょう」とふわっと言われ、4000円を払う。保険証を出してその値段ということはどれほどの金額なのか。まぁ、もちろん、僕にはわからない知識、経験のあるお医者さんに診てもらうわけだし、いろいろな検査も必要だろうが、なんだかよくわからない手ごたえの無さがすっきりしない。

 

年始ということもあるのか、普段は13時、14時くらいまでかかっていた診断が、11時過ぎには終わり、母も午前中には入院先へ戻すことができた。別れ際、母は娘と別れるのが少し名残惜しそうだった。そろそろ退院の準備。結局、自宅に戻ることにしたので、取り急ぎはベッドを用意するということになったので、母を送ったあと近くのニトリでベッドを見る。そこそこ便利な電動式のシングルベッドがあったので、それに即決。1月中旬には実家へ設置をしてもらうことになった。こういう時、スパッと動けるのは気持ちが良い。

 

それから、レンタカーを返却し、都内へ戻る。電車のシートが暖かくてホッとする。僕はそのまま仕事へ向かったので渋谷まで。が、少し寝過ごしてしまった。慌てて戻って仕事。昨日から仕事をしていたので、感覚的にはもう日常に戻りつつある。

 

6日。早朝から運転の仕事。風がちょっと冷たい。少しばかりバタバタとした仕事が無事に終わり、ホッとする。メールを打ちながら昼ご飯を食べていると猛烈な眠気が。考えてみると昨日も今朝もそこそこ早かった。

 

少しばかり憂鬱な仕事で打合せ。うーん、そういうものを抱えているせいか、本来なら別々で考えなければならない個人のことを素直に飲み込めず、仕事ちゃんとやれよ、と思ってしまう。いかんなぁと思いつつ。こういう時、自分が結構、感情的に動くタイプだと実感する。

 

夜。再び仕事で車の運転。20時ごろだったが、驚くほど都内は空いていた。それから少し、仕事先の人と緊急事態宣言について話をする。気が滅入る。経済をまわそうとする動きと、コロナ増加で諸々揺れ動く。経済至上主義で考えれば緊急事態宣言的なものは出している場合じゃないし、コロナ感染は「自己責任」になってしまうだろう。で、宣言をだしたからとて補償がないなら、政府がやっていることは単なる注意喚起にしかならない。だけどそれで何かをいえば「国に頼るな」的なことを発言する人もいるが、そりゃ頼るだろう、そのための国だろうし。もう、あれだ、オリンピックや国防にかけれる金がぎょうさんあるわけだから、それをまわせばいいと思う。

 

家に帰って筋トレして、ぼんやりしていたら、いつの間にか寝ていた。目覚めたら猛烈に寒い。慌てて布団へ。