東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『小栗康平監督にお会いする』

tokyomoon2014-07-09

仕事から帰ってきて、ご飯を食べ、ビールを一杯飲み、風呂に入り、少しまどろんでテレビを観ていると気がついたら寝てしまい、朝6時に娘に起されるというサイクルの日々を過ごしている。日記を書く前に眠ってしまうサイクルになっていて、それはそれとしてと思いつつ、日々の記録として諸々書きとめておきたい。特に先週末はとっても貴重な出来事があった。とりあえず近々の覚え書き。


久しぶりに以前の職場の同僚からメールが届き、何かと思ったら懐かしい画像を見つけたとのことで写真データが届いた。懐かし過ぎて苦笑。いろいろ若い自分が写っていた。特に顔立ちが変わっているわけではないのに、今よりも若く感じる所以はなんなのだろう。だいたいその同僚とは馬鹿らしいメールのやりとりをするのだけど、それが前の職場では愉しかった。くだらない話もした。で、なんだろうか、偶然というものは不思議なもので、そんなやりとりをした矢先に、たまたま以前の職場の今度は上司の方と、青山一丁目でばったり会った。本当に偶然。前の会社を辞めたのが確か3年ほど前で、それ以来一度も会ってない上司の方に、久しぶりに元同僚とメールをした日に会うなんてことがあるのだろうか。少しばかり立ち話をする。いろいろと大変なこともあるようなのだけど、ともかく互いに前へ進むしかない。


家族ぐるみでお世話になっているTさんが池袋に来る用事があるとのことでお昼に会うことになった。以前飼っていた猫の、亡がらを丁重に弔ってくれて、それ以来のおつきあいをさせていただいている。娘が生まれる前からのおつきあいで、娘にとっては東京のおばあちゃん。いつも元気な方。娘へのお土産もたくさんいただいた。近所のラーメン屋でお昼を食べる。ご主人がお亡くなりになった後、Tさんはお一人で暮らしていたのだけど、このほど娘さんの家の近くの大船に引っ越とのこと。少し離れてしまうので、会う機会が減ってしまうかもしれないけれど、また是非会いたい。


そして、少し遡って、先週の土日。仕事の用件で大阪へ出張だった。前回、大阪に行ったのが5月だったので、自分の中ではとても短いスパン。初めて、金券ショップで新幹線回数券を購入した。土曜の朝、少し早めに東京駅へ行く。休日ということもあってか家族連れでほどほどに混んでいた。3人掛けシートの窓際に座ったのだけど、隣は家族連れ。子供がまだ小さかったので両親二人で二つの座席をとって、息子を膝の上に乗せて座っていた。そうすると窮々な感じになり、僕は一度も席を離れることができずに窓際に座ることになった。


持って来た本を見て過ごそうと思ったのだけど、車窓の風景に意識を持って行かれる。びゅんびゅんと通り過ぎて行く風景を見ているのが面白い。都市から住宅街へ、そして山がでてきたと思ったら田舎の風景に変わったりする。新幹線の猛烈なスピードの中で、外の音は当然聞こえないのだけど、雨が窓を叩く、なんというのだろうか、カリカリという音は聞こえて来て、雨だれが窓を打つ。それで雨が降っていることに気付く。大気が不安定なのか、場所によって晴れていたり、雨が降っていたりで、そういう変化も面白い。隣の親子連れは京都で降りたので、そこからは少しホッとしたけど、京都から新大阪まではわずか15分。近いよ、京都〜大阪間。


新大阪に着いてから、すぐに在来線へ移動。JR環状線のホームがよく判らず、勘で進む。それで大概行けるから、なんとかなる。西九条駅で降りる。実際の目的地は九条駅なのだけど、隣駅だったので、西九条から歩いてみることに。外へ出て、地図を頼りに歩くと、いきなり川にぶつかる。渡れないかと思ったら、川の地下を歩ける海底トンネルがあり、驚いた。地元の人たちは歩いたり、自転車に乗ったりと当然のように渡っている。気のせいかもしれないけれど、やけに自転車移動している人たちが多い印象。それで九条駅側に渡り、アーケード街を散策。なんといいますか、味わい深い風景。少しだけ、前の時代のように感じる風景があるような気がする。雑多という言葉は悪い意味ではなくて、もっというなら有機的というか、人がいるからこそ出来る風景がそこにあるように思える。


九条駅の高架をくぐり、さらに賑やかな商店街を歩く。東京でいうと高円寺とかそんなイメージか。路上にチョークで落書きをする子供たちとそれを見ているおばあちゃんがいて、ランニング姿のおじさんがスケボーを練習する娘さんを見ている。自転車に乗っ た子供たちを追いかけて路地を走る子供がいる。ふと、道端を見ると雀の雛が干からびて死んでしまっていた。すぐ横にある電信柱を見上げたけど巣のようなも のは見当たらない。いろいろな店があり、面白い。

それで、少し商店街のアーケードを逸れて、路地を進むと整然と並ぶ老舗料亭みたいな建物が並ぶ路場所にでる。急に開けて、道路幅もある。なんだろうと思ったら店先の女性に、お兄さん寄ってってと言われ、これはあれだと慌てて去る。驚いた。なんてことない商店街の隣にいきなりそんな場所があるとは。そんなところから一人歩いて来たら、「その後」と勘違いされたでなかろうか。いやはや。あとから松原遊郭という場所だったと聞かされる。


で、目的の場所、シネヌーヴォという場所へ着く。今回は一応、仕事で来ている。小栗康平監督の5作品の特集上映が行なわれており、この日に小栗康平監督のトークショーがあり、それに仕事の諸々で来させてもらった次第。とても大好きな監督のトークショーに来れるなんて、こんな仕事があるとは思いもしなかった。なんと幸福なことか。


監督の作品である『伽倻子のために』の製作から30年を記念した特集上映で、『伽倻子〜』上映後のトークショーであり、小栗康平監督はそのその上映中に控え室にスタンバイされていた。僕らもそこにお邪魔させてもらった。監督はとても穏やかな方で、少し挨拶をさせてもらうと笑顔で会釈をしてくれた。今回はフィルムでの上映で、しかも『伽倻子のために』が撮影されたスタンダードサイズでの上映ということで、小栗監督自身もとても喜んでいて、フィルムが回っている映写室を一緒に見学させていただいた。そして、少し話もさせていただいた。デビュー作「泥の河」を撮られたのが35歳。偶然ながら今の自分の年齢。それまでの助監督時代の話は、監督の著作で少し勉強させていただいた。今の自分と同じ年齢の時に、デビュー作を撮られている。そのお方とお会いしている。この不思議。幸福。


トークショーもとても刺激的だった。なんというかとても柔らかい語り口でお話になる方で、自作について丁寧に語られる。初作品『泥の河』、『伽倻子のため に』からは作風が難解になっていると指摘を受けると「みんな自由にいろいろ想像してもらっていいのになぁ」と笑顔で言われた。


トークショー後の取材や、ちょっとした酒宴の席にも参加させていただき、ここを逃したら二度と会えないかもしれないわけで、緊張と人見知りを可能なかぎり飲み込んで少し話をさせてもらう。海外で『埋もれ木』が上映された時、それを何回も観たという女性の観客がいたそうで、その方が小栗監督に感想を言ったのだという。観るたびにいろいろなところではぐれてしまう。次はどこではぐれるのか楽しみで仕方がない、と。本当にその通りだなぁ。僕も何度もはぐれる。はぐれて自分でフラフラして観る。それが幸福な映画だと思う。


飲みの席の最後、映画監督はデビュー作の陰を追い続けるといった話になったとき、小栗康平さんは
「そんなことはない」と一蹴されていた。常に前進。一作づつに、作るごとに『自由さ』があると自作を語る。言葉や物語に頼らず、フィルムに写る映像で、映画を成り立たせる。自分にとってそのように作ろうとできたのは、『伽倻子のために』だったそうで、最後にぽつりと、「俺は『伽倻子』を撮って、映画作家になれたと思う」と言った言葉がとても印象的だった。本当に貴重な時間だった。後からもっと話を聞けば良かったと後悔する。そして、劇場で『死の棘』を観た。改めて、面白い。そして、僕もやはりはぐれた。自由にはぐれた。この幸福感。本当に小栗康平監督の作品は面白い。というわけでまったく仕事の感じはなかった。


シネヌーヴォから離れた谷町四丁目という駅の近くにホテルがあった。大阪城が近くだったので歩いてみたけど石垣の大きさには感心するけど、やはり城にはあまり興味がわかない。城の近くで、餌を用いてたくみに鳩を集めるおじさんがいた。頭や腕に鳩がとまっていた。

大阪城のまわりを歩いていたら、蝉の鳴き声が聞こえた。今年初の蝉の鳴き声。

そして翌日にはあっという間に帰京。新幹線、便利過ぎて距離感覚がなくなる。町並み、そこに暮らす人たちの感じ。同じ国だし、それほど大きな変わりはないように思えても、確かに何か違う感じがする。大阪はずっと遠くにある。だからやはり行きたくなる。旅をしたくなる。


なんだか、台風が近づいてきそうな日々。梅雨なのか、夏なのかよくわからない