東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『連休に再び山形へ』

仕事をなんとか融通つけて金曜から山形へ娘に会いに行っていた。今回は少し連休を利用して4日ほど行けるので、猫のみぞれも連れて行く。

メインの目的は、娘が産まれてから一月を過ぎたので、お宮参りをするというもの。こういう時、張り切りのは女性陣であり、嫁氏と義母氏は娘用の服を購入し、そのうえ自分たちも着物を着る張り切り様。僕はというと暑いので、一応Yシャツとズボンは持ってきたものの靴が面倒だったので、山形の従兄弟から貸して頂くことに。張り切ってないわけではないけれど、暑さには、やはり、勝てない。

新庄の城址に建てられた戸澤神社にて諸々お宮参り。無事に終わって一息つくも、その後は、出産祝いを頂いた方々にお礼の品を手渡しでわたすため、車でいろいろな方の家に行くのに同行。基本的には、嫁方の親族関係への挨拶であり、僕はいえば本当にただ後ろについてヘラヘラとしているだけだった。

山形の天気は夏真っ盛りだった。入道雲に緑の水田。車で走るには気持ちのいい視界。山形は気候的に紫陽花が咲くのが7月らしく、ちょうど満開であり、それはそれで見慣れない夏でもありました。

娘の成長は、日々、楽しい。離れて暮らしているので、娘飢えに苛まれる日々であり、毎日写メールを嫁氏に要求するわけだけど、日に日にでかくなり、顔もパンパンになりつつあるのに恐々としていたのだけど、実際に会うと写メールほど太ってはいなかったが、ほっぺたのあたりがふっくらとしている。それがそれで、またかわいいわけだけど。

かわいいだけではすまないのは、2〜3時間置きにミルクをあげなければならないことで、大変なのは、それが決して時間通りにいかなこと。娘、けっこう食欲旺盛で、腹がへっちゃあすぐに泣く。状況によっちゃあミルクをあげても足りなけりゃ泣く。それが深夜でもおかまいなしなので、大変なのは嫁氏と義母氏である。僕も山形に滞在するときは面倒を見ようと試みるのだけれども、まずその前に、夕食時に嫁父氏からしこたま酒を振舞われ、断りもせずにぐびぐびと飲んでしまうもんで、酒にやられて起きれないという事態に見舞われ、気が付けば嫁氏が娘の世話を見てくれているという失態をおかす。おかげで嫁氏からの信頼を、完っっっっっ全に失う。

なんやかやとバタバタとした日々を過ごし、やっと一息ついたのは日曜の夕方。義母氏は買い物にでかけ、義父氏は家の前で、いよいよでかくなった犬を水浴びさせていた。娘が寝ずに泣くので、腕に抱いて揺らす。すこし揺らすと落ち着いてくれる。それでもダメなときは外に連れて行くとなぜか泣き止む。それで嫁氏と娘を連れて外へ出た。義父氏はでかくなった犬用に新しい首輪を買っており、それを犬にはめていた。道路を挟んで向かいの家の主人さんが、家の壁を自分で塗り直していた。近所の人たちが自分の家の犬を連れて散歩にでかけていく。近所で顔なじみということで、義父氏と会話を交わす。僕が抱いている子供にも目がいく。「どのくらいになるの?」「一ヶ月です」「(肌の)色が白くて、(嫁氏に)そっくりね」、ーそんな会話を交わす。陽が傾きかけてそらが橙色になって、アスファルトもその色に染めていく。気温は心地いいくらいまで落ちてきている。犬はアスファルトに寝そべっている。
なんて幸福な時間なんだろうなぁと、素直に思えた。

月曜は月曜で、海へ行ったり、諸々観光。それで最終の新幹線で帰ることに。義父と、嫁氏と娘に玄関前で見送られる。義母氏に車で駅まで送ってもらう。今度はいつ来るのかと言われたので、8月の半ばだと思いますと伝えたけど、仕事でどうなるか判らない。それから9月の後半の連休に、車で来ようと思うという旨を伝えた。娘と、嫁氏と、荷物を持って東京に行くには、新幹線ではなく、一度車でくる必要があったからだ。予め、漠然とは伝えていたことではあったけど、正式には初めて義母氏に伝えた。
そう、それはちょっと寂しくなるな。
義母氏は、地元の方言の、特徴のあるイントネーションの語尾の言い方でそうつぶやいた。胸が締め付けられそうになる。
出産の準備で嫁氏が実家に戻ったのが4月で、6月に出産をし、一番大変な3ヶ月の世話をしてもらう。それで9月に、娘と孫がまとめて家からいなくなってしまうというのは、よっぽどのことだと思う。ひどく残酷なことをしてしまっているようで、思わず泣いてしまいそうになり、というか泣いてしまい、それをごまかしつつ、駅で別れる。最終の新幹線は20時前に駅を発つので、義母氏はわざわざ車内で摂れるようにお弁当をつくってくれた。相変わらずボリュームがある。どうにも、僕は大喰らいだと思われている節がある。ものすごい量のお弁当を食べながら、なんだか泣けてきて、メソメソしながら食べた。

帰宅。東京も梅雨が明けていた。さすがの長旅に猫のみぞれも疲れた様子。