東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2015年になって』

2015年を迎えた。年末は穏やかに過ぎた。天気が崩れるかと思ったけど、雨になることもなく布団を干したりもできた。


晦日は、ダンボールで娘の小さな部屋を一緒に作った。以前に同じようなものを作っていたのだけど、それが小さくなり老朽化も激しかったので建て直し。少し大きくて頑丈なダンボールを使用。扉をカッターで切って、窓も作る。手作りなので見た目はボロだけどそこはまぁ、それとして。ひとまずベースはできたので後は娘の手によりバージョンアップしてもらえればと思う。


夕方に自転車に乗って公園へ。わずか1日の練習で突然立ち漕ぎができるようになり驚く。さらに細かいハンドル操作もできるようになり、あとはブレーキ操作が上手くできるようになれば、自転車をある程度自在に乗りこなせる気がする。子供の習得技術ってすごいなぁ。そんな娘が自転車に乗りながら僕に話をしてきた。

「おとーは明日も休み?休みならまた明日も自転車に乗ろうね。公園にね、行くの。自転車疲れたら、砂場で遊ぼうね」

それだけの他愛もない言葉なのだけど、なんだか僕には子供の声による詩の朗読のように思えて、その声が、言葉がとても良かった。公園で日が暮れるまで遊んだ。


夜は寝ることもなく、年を越そうとしたので家族で近所の神社へ。去年はとてつもなく寒かったけど今年はそうでもない。年があけるタイミングで初詣が出来た。サンシャインのビルで、年越しのタイミングで花火が上がるという噂を待っている人たちがしていて、それ、去年も誰が言っていたのだけど、結局上がらず。あんな都心でいきなり花火は上げれないだろうから。それにしてもどうして毎年その噂が流れるのだろう。


1日。目覚めると娘がオネショをしていた。新年早々。洗濯して布団を干す。それから、僕の実家へ。都電で町屋駅前まで行き、千代田線に乗り換えるというルートを使ってみる。三ノ輪橋まで行って日比谷線より楽なルートかもしれない。

我が家の父と母は元気にしていて、孫がくると特に母が買い物に行きたがる。何か服を買いたくて仕方がないらしい。あまり買われても気まずいので、遠慮したものの、結局オモチャ屋でわたあめ製造マシーンなるものを購入する。なぜそれを欲しがったのかはわからないけれど、家に帰って嬉々としてわたあめを作っていた。

夜。食事をしてから父と久しぶりに2人でいろいろ話す。仕事のこととか。父なりにいろいろ考えていることを聞かされる。心配されているな、いつまでも父にとっては心配をかける息子なんだろう。


翌朝、駅まで車で送ってもらう。その時、小学校の頃によく遊んだ公園の前を通ったのだけど、駐車場になっていて驚いた。寂しさはもちろんあるけれど、駐車場になっていたことで、つまりあの土地が県とか市の土地ではなく、誰かの持ちものだったということで、ずいぶんと長い間、公園の土地として提供してくれていたのだなぁと知ったことに驚いた。いろんな事情があるんだろう。ブランコやら滑り台の他になぜか古いタイヤがいっぱいあり、それで僕らはタイヤ公園と呼んでいた。そこが駐車場になる。寂しいけど仕方がない。


で、駅まで送ってもらってから大宮へ。東武アーバンパークラインという謎の改名をした東武野田線に久しぶりに乗った。それから新幹線で、山形の新庄へ。親族の家へ帰省のハシゴ。福島あたりまで雪はほとんど降ってなかったけど、県境の山に差し掛かると急にとてつもない雪に。山形に入ると大雪だった。久しぶりの新庄。温泉などに連れて行ってもらい、美味しいおせちなどをたらふくご馳走になり、酒に酔う。ありがたいことだなぁと思う。

埼玉でも、山形でも娘は変わらず元気で「ジジ!ババ!」と楽そうだ。そんなこんなの年明け。