先日、強い雨が降った日があり、職場へ向かう道が落ち葉で埋め尽くされていた。その雨はあっという間に止んですぐに晴れ間がのぞいてきて、なんだか生暖かい湿った風が吹いていた。12月にしては奇妙な暖かさだった。
12日(土)。娘の幼稚園のクリスマス会。イエス・キリストが生まれた時の話を園児たちが発表する。厩戸に生まれたキリストに、いろいろな人や動物がそれぞれ与えることができるものを分け与える話。鳥は卵をあげて、羊は毛をあげる。娘は昨年、羊を演じ、今年は猫を演じていた。僕は熱心なキリスト教信者ではないけれど、良い話だなぁと思う。見返りのない贈与。お芝居が始まる前に一度、室内の電気を消して暗くするのだけど、ああいう時、子供たちはワーワーと声をあげて嬉しそうにする。暗くなるってなんだか怖くて面白い。
そういえば、昨年もそうだったのだけど、クリスマス会の最後に子供達には内緒でサンタが登場する。このサンタ、テンションがやけに低い。昨年は体調が悪かったことが理由らしいが、元気な今年も相変わらずテンションが低かった。どういう理由でこのサンタの中の人が継続しているのかは定かではないが。写真を撮ってみたが、身体全体からほとばしるテンションの低さよ。
クリスマス会が終わった後は、近所の餅つきに参加して餅を食べた。空は快晴。
いくつかお芝居を観る機会がある。歌やダンスについて、ものすごい専門的な見識があるわけではないけれど、鍛えられた身体や発声による歌やダンスは目に留まる。不思議なもので、舞台上でたくさんの人がいたとしても、洗練されたその人たちのパフォーマンスが一際目立つ。それは素晴らしい。だけれどもそれだけだろうかと思う。
先日、とある人とメールで俳優の技術について少しやり取りをした。優れた俳優は技術を持っているという見解をその人は語る、それはその通りだと思いつつ、だけどそれだけだろうか、とも思う。洗練された歌やダンスの魅力は確かにある。だけど、歪な形をしてるのに目が離せないような魅力もまた俳優の姿だと僕は思う。ただ、それをうまくまとめる術がない。難しいなぁと思う。
神代辰巳監督『恋人たちは濡れた』
黒木和雄監督『紙屋悦子の青春』
『紙屋〜』は大好きな松田正隆さんが原作。戦地から離れた家が舞台となる限られたシチュエーシでの会話劇。台詞のやり取りが、少ないカット割りの中で進行していく。穏やかな陽気とコミカルな会話の中にも戦争の影が忍び寄ってくる。
『恋人たちは〜』の性的な戯れの日々。バスに向かってミカンを投げつけたり、砂浜で跳び箱遊びに興じる描写の、ただそれだけを切り取るシーンの面白さ。そしてラストの自転車に2人乗りするシーン。ぐるぐると周る自転車と、それを追いかけるようなカメラの中にも、見事に映り込む暗殺者の影。そして夕暮れの海へと入っていく自転車。本当に面白い。