東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『夏っぽい金曜』

朝7時半起床。缶ゴミを捨てて、洗濯機を回す。天気がやや曇りという予報だったものの、雨が降らなそうだったので、ベランダに干す。

それから有楽町線へ。混んでいるかと覚悟していたけど、普段よりは比較的空いていた。なぜだろう。その後、銀座近辺で仕事。仕事が終わって外に出ると、雲も無く、快晴。暑すぎるくらいだけど、夏っぽい陽気。日比谷線に乗り、事務所方面へ。お腹が空いて、富士そばで昼食。

午後は事務作業。たまっていたメールの返信など、対応をいろいろ。ようやく夜に落ち着く。昼にちゃんと食べた割に珍しくお腹が減り、コンビニで夕食を購入。どうにも新1万円を出す気になれず、旧札で。コンビニ飯ながら夕食を食べる。珍しくしっかり3食食べた。

仕事を終えて、帰宅。筋トレしつつぼんやりバラエティを観る。これまでは背中の下の方が痛かったのだけど、今日は肩まわりがやや痛い。痛い箇所が移動している。そんなことあるのか。深夜1時前に眠くなり就寝。久しぶりに、ある程度、落ち着いた1日だったように思う。

 

『なかなかうまくいかない』

朝7時半過ぎ起床。朝食を食べて、燃えるゴミを出して、車で職場へ。やや蒸し暑い。

午前中、1つ打ち合わせ。現場レベルでやりとりする打ち合わせと、上で考える認識の違いはどんな分野でもあるんだろうけれど、いろいろ意見を合わせるのは難しい。打ち合わせが終わった後、自分の作業をしようとしたところに、別の打ち合わせが急に入る。それの対応でも時間がかかり、結果バタバタとする。

その後、出先で打ち合わせがあり、急いで電車で移動。約束の時間ギリギリで到着。そして、また打ち合わせ。こちらの希望、先方の希望。やや食い違い。話し合いをするほどにずれが出ていることを感じつつ。これもまた難しい。双方、ビジネスだ。物別れになることがあることも承知の上。

そんなことを悩みつつ、打ち合わせ先が池袋の近くだったので、池袋の本屋へ。中勘助さんの『犬』岩波文庫版を探しに。池袋の中ではそこそこ大きいと思われる東武百貨店の中の本屋には無かった。では、と、ジュンク堂へ。さすがにあるかと思ったけれど、こちらにも無い。うーん。なるほど。ジュンク堂を出ると、夕焼けがきれい。

昼ごはんも食べてなかったので、がっつり食べようと、油そばの店で大盛りを注文。結果、食べ過ぎた。それから池袋のタリーズでメール作業の続き。なんやかんや、終わらず、終わらないうちに次々メールがくる。21時、お店の閉店時間になり、あきらめて終了。買い物をしようとハナマサへ行こうとしたが、改装工事中で閉まっていた。いろいろうまくいかない。

ハナマサの近くのまいばすけっとで買い物をして財布からお金を出そうとしたとき、見慣れる紙幣に気づく。新一万円札。先日、ATMでおろしたときに入っていたのだと思う。変なフォントの文字。見慣れないからなのだけど、ゲームに出てくる紙幣みたい。使えるのかわからず、思わず、別のお札で支払う。

帰宅して、筋トレしつつぼんやり。観たいドラマはあるものの、ドラマを観る気持ちにならず、バラエティばかり見て、1時過ぎ、就寝。



『梅雨が明けて、楠の木の下で』

朝6時過ぎ、起床。出先での仕事があり、早めに準備。都内を出て、高速で遠方へ。渋滞を考慮すると4時間半と出ていたので、余裕を持って出発したら、ある程度、スムーズに進む。緑多く、水田や、山の見晴らしが良い。

猛烈に暑い中、出先で日中仕事。こういう日に限って、Tシャツの下に汗取りようの下着を着てくるのを忘れて、汗だくになる。見た目的にも恥ずかしい。無事に予定の仕事を終えたのは16時過ぎ。そのまま帰京でもよかったのだけど、せっかくだからと地元の銭湯に寄っていくことに。入湯料500円。まだ入っているお客さんもほとんどなく、後半は1人で湯船を独占。やや熱めのお湯。ぐっと我慢して、入れば、しばらくすると慣れてくる。こんなに暑い日なのに、熱いお湯が気持ちいい。ただ、露天の方はもっと猛烈に熱く、とても入れなかった。その後、地元の方に伺った神社があり、そこに寄ることに。

日が暮れかけて、もう、周りも静か。神社も本殿はやや閉まっていたので、静かにお邪魔する。境内にとても立派な楠の木がある。幹が太く、その幹に苔が生えていて、野草も伸びている。樹齢千年という驚きの長寿。圧巻の存在感。以前に、いとうせいこうさんが、木は成長と共に、外側はすでに死んでしまっている部分も存在するが、生きて成長する内側を、死んでしまった外側が取り囲むように存在している。つまり生と死が同時に存在しているという。おそらく樹齢千年もあると、間違いなく死んでいる部分もあるのだと思う。ただ、そこにも苔や野草が生えたり、内側の生きた幹の生育を包み込んで守っている。そうやって全体として存在していることの圧倒的な姿。

神社を出て、近くのコンビニでドリンクを購入。18時過ぎ。日はまだある。空はきれいな夕暮れ。どうやら全国的に梅雨が明けた様子。暑い夏が来る。

車で都内へ。なんやかんやと3時間弱。一日走った。都内は蒸し暑い。暑さの質が違う。コンビニで軽く夕食を食べて、買い物をして帰宅。なんやかんやと23時過ぎ。さすがに今日はそのまま就寝。

 

『お腹が痛い火曜』

朝7時40分起床。朝食を食べて、車で出社。昨晩から比較的涼しい。曇り空。天気予報を見ると午後から雨が降るとのこと。

事務所で仕事諸々。やらねばならぬことをサクサク片づけていく、が、やってもやっても次々と仕事が来る。そして、何やら電話も次々と鳴る。ありがたい次第であるが、しかし、なにゆえ、様々なことが同タイミングで重なるのか。

そして、背中の痛みに続き、なぜか今日はお腹に痛みが。なんなのだろう、『痛い』ともちょっと違うのだけど。昼過ぎから雨が降り出し、15時頃、結構、強めの雨に。そして、お腹は引き続き、妙な痛みが。背中の痛みもそうだけど、自分が衰えているのか心配になる。

夜、事務所での作業を一通り終えてから、車で会社を出る。コンビニで夕ご飯におにぎりやアジのフライを買い、食べる。BGMは昨日に続き、星野源さんの『フィルム』。あと、宮内優里さんの新曲もあったので聞く。なぜ、星野源さんを聴いていたら、レコメンドで宮内優里さんがでたのかよくわからなかったのだけど、そうか、『読書』という曲を一緒に作っていた。

雨上がりの都内を走る。湿度も低く、心地いい。窓をあけると、うっすら湿った空気。このくらいの気温だったら、過ごしやすいのにな。都心は賑やか。ふと、演劇ユニットせのびの公演のアフタートークで、岩手県は小劇場公演が活発だという話をしていたことを思い出した。東京ばかりではなく、いろいろな地域で、様々な活動が活発化されることは素晴らしいと思う。せのびの公演を見た時、自分たちの生まれた土地や、体験することは、その表現者の身体に確実に反映されると思う。そういえば、劇中で使用していた音楽はどなたの曲なんだろう。良い音楽だったなぁ。

しばらくしているとお腹の痛みが落ち着いた。単に空腹だったのかもしれない。

 

『フィルムを聴きながら』

朝、少しだけ早く起きだして、仕事のため車で移動。祝日の朝は比較的空いている。一瞬、ちらっと雨が降ったものの、すぐに止んだ。

午前の仕事が落ち着いて、少し時間ができたので、少し、関口教会へ。先日、春日教会のことを少し調べて、ふと、行きたくなり。関口教会へ行くと、午後から結婚式があるという案内が出ていた。これまでそんな案内を見たことがなかったのだけど、そうか、教会で結婚式を挙げる人がいるんだもんな。椅子に座り、ぼんやりとする。それから新宿御苑へ。ギリギリ雨が降りそうで降らないので、ちょっとだけぼんやり。

小説「BUTTER」を読みつつ、うつらうつら。座った場所の近くに蟻の巣があったようで、ぼーっとしていると蟻が集まってくる。

なぜかふと、星野源さんの『フィルム』が聞きたくなり、Spotifyで流す。良い曲だなとしみじみ。天気予報では雨マークがついていたけれど、やや晴れ間が見えるくらいに。それに伴い暑さも戻ってくる。

夕方、ニトリで洋服ケースを2つ購入。それから再び仕事少々。終えてから、買い物。車中のBGMは引き続き、星野源さんの『フィルム』。聞いていたら映画「キツツキと雨」を観返したくなった。

open.spotify.com

帰宅して、ボロボロになっているプラスチックの洋服ケースを処分し、新しいものに入れ替える。長年使用した結果、プラスチックが風化し、ボロボロに砕けてくるという事態。寿命ってあるんだなと実感する。

中勘助さんの小説『犬』がものすごいという話を聞き、非常に気になっているものの、青空文庫には無かった。なんでも発禁になるほどの内容で、伏字で出版されているものもあるらしい。岩波から出ている全文掲載されているらしく、それを読みたいと思う次第。ただ、教えてもらった人からは、体力がある時に読むことをお薦めされる。

それから筋トレ。相変わらず背中が痛いので、背筋はやめておく。それにしても、この背中の痛み、昨日に比べると落ち着いたものの、なぞだ。

 

『背中が痛い/献血と力士たち』

朝、普段通り起床。背中が痛い。ちょっと前からやや気になっていた。筋肉痛のような。夏の暑い時期になり、布団で寝るのが暑く、リビングの床の上にゴロゴロと寝ているので、そのせいで背中が痛みだしたのかもしれず、そこに輪をかけて筋トレをするので、痛みがひかないのかなと。

目が覚めて起きだすときに、ややひいひい言うくらい痛く、仕事で電車に乗る時もどうにも痛い。じっとり脂汗をかくほど。

仕事で小田急線沿いのとある駅へ。各駅しか停まらない駅のホームでベンチに座り、少しぼーっとする。仕事の約束の時間まで時間がまだあったのと、痛みで動くのが面倒だったので。すると、雨が降り始めてきた。ホームは屋根があるので、僕は雨に濡れずに済む。屋根がない線路の方は雨が降っている。静かに降る。雨音がそこまでしないタイプの優しい雨。そうか、こういう雨は傘をさしていると、傘に降る雨音がするけれど、傘を差さなくていい場所にいると雨の音はしないんだなと思う。他にも数名、ホームで電車を待っているが、みんな言葉も発せず静かにしている。駅の階段付近に、視覚の不自由な方に向けた注意喚起の鳥の囀りのような音が鳴っていて、しばらくの間、その鳥の囀りのような音と、静かに降る雨だけの時間があり、それがなんだか心地よかった。

その後、出先で仕事。立ちっぱなしでじっとしていると背中が痛みやや辛い。夕方、仕事を終えて、外にでると、雨上がりで猛烈に蒸し暑い。ふらふらと新宿へ。少し時間があったので、献血ルームに行くことに。以前、いつやったか献血カードをみると9月だった。もう少し近い時期にやっていたような気がしたけど、なんやかんや9か月ほど経過していた。一通り、チェックを受けてから、400ミリリットルの献血。採血する場所には、小型のテレビモニターが付いており大相撲中継が流れていた。すっかり見なくなった。名古屋場所をやっていた。満員御礼とのこと。もはや力士の名前もまったく知らない。左手は血を抜かれている。どうも採決に時間がかかっているらしく、担当してくれた女性の方が「ちょっとゆっくりですね」と言いながら、気にしてくれる。テレビでは力士たちが時間いっぱいまで四股を踏み、見合って、ぶつかりあう。一戦終わるごとに、歓声が起こり、録画された戦いをスローで放送する。力士たちの身体がゆっくりとぶつかり合う。血がゆっくりと抜けていく。

ようやく採血が終わり、待機ルームで提供されたホームランバーをいただく。特に貧血も無く、しばらくしてから、献血ルームを出て、翌日の仕事のため、職場に車を取りに行く。

買い物をして、帰宅。ぼーっとしていると、なんだか、筋トレをする気力もなく、今日は安静にして早々に休む。

 

『夏に冬は思い出せない』

朝、8時過ぎ、猫に起こされて目が覚める。久しぶりに布団で寝て、ぐっすり。単純に昨夜は肌寒かった。ただ、背中の痛みは引かない。

朝食を食べてから、天気が雨予報ではなく曇りになったので、洗濯をしてベランダに干す。掃除機をかけてから、外へ。

渋谷からJRに乗り換えて、桜木町へ。演劇ユニットせのびという岩手の劇団のお芝居を観るため。15時の回だったけど、少し早めに出て散歩。桜木町、普段はみなとみらいの方へ行ってしまうが、野毛の方へ。動物園通りという細い路地を歩くと、動物園の手前にJRAの場外馬券場がある。そして、急な坂。動物園に行く手前で日之出町方面へ。歩いていると、なんとなく地理が把握できて、大岡川を、長者町から伊勢佐木町方面へ。繁華街感のある路地を歩く。ディープと言われてしまいそうだけど、どちらかというと本来の横浜はこちらで、みなとみらいのような空間の方が新しくできたイメージなのだろう。勝手な見解だけど、路上喫煙者の割合が高い気がした。それもまた、土地の空気感のような気がする。

なんやかんや関内駅前まで来て、タリーズカフェで仕事したり。横の席が、喪服姿の二人の女性。そこまで暗い雰囲気もなく、スマホをいじりながら世間話をしている。読書でもしたかったけれど、メール作業をしていたら、いつの間にかぎりぎりの時間。

会場である神奈川県立青少年センターへ。また、坂道を上り上の方へ。隣にとてもきれいな建物があり、ガラス張りで中が見えて、本を読んだり、パソコン作業をしている人がたくさんいる。綺麗なカフェかと思ったら、図書館だった。ここに来ればよかった。

それから、演劇ユニットせのび。『夏に冬は思い出せない』。冬忘れという、冬のできごとだけ忘れてしまう症状が日本中に蔓延する世界。その中で、忘れることに肯定的な人や、否定したい人、自分は忘れる症状がでないことを気にする人たちがでてきて、日々のやりとりなどが重層的に描かれる。ここ最近、自分の中で、時間は、過去ー今ー未来と一直線ではなく、一つの塊のような感じであることを、改めて考えていた矢先、この作品のように、時間を縦横無尽に横断して、断片のできごとを紡いでいくことは、過去も、今も、未来のことも、この舞台上で一緒くたで、舞台上で語られることで、どの時間軸も、今の出来事としてまるっと存在していて、ああ、これって、舞台だからこそのものだなと、実感しながら観ていた。一つの塊のように時間というものが存在することを、自分がすんなり受け入れられるのは、舞台に触れる機会が多いからなのかもしれない。

物語は、東北の冬ということで、3.11のことにも触れながら、クライマックスへと続いていく。徐々に流れる音楽も高まっていき、クライマックスに向けて進んでいく場面は、胸がつまりそうな気持になる。僕も物覚えが良い方でないので、きっとこの舞台の詳細は忘れてしまうと思う。だけど、この日、この舞台を観た時に感じた、人が忘れていく存在であること、それでも生きていくことの、そのなんというか、忘れる、ということで心が動いた、その揺れのような感情は忘れないと思う。

とても素晴らしい劇団を知ることができた。

帰路。夕方、観劇終わりに横浜はやや雨は降っていて、洗濯ものをベランダに干して来たことに戦々恐々だったものの、地元は雨が降った形跡は無く、ホッとする。やや涼しい夜。日中暑くても、夜が涼しいと過ごしやすい。