東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『夏に冬は思い出せない』

朝、8時過ぎ、猫に起こされて目が覚める。久しぶりに布団で寝て、ぐっすり。単純に昨夜は肌寒かった。ただ、背中の痛みは引かない。

朝食を食べてから、天気が雨予報ではなく曇りになったので、洗濯をしてベランダに干す。掃除機をかけてから、外へ。

渋谷からJRに乗り換えて、桜木町へ。演劇ユニットせのびという岩手の劇団のお芝居を観るため。15時の回だったけど、少し早めに出て散歩。桜木町、普段はみなとみらいの方へ行ってしまうが、野毛の方へ。動物園通りという細い路地を歩くと、動物園の手前にJRAの場外馬券場がある。そして、急な坂。動物園に行く手前で日之出町方面へ。歩いていると、なんとなく地理が把握できて、大岡川を、長者町から伊勢佐木町方面へ。繁華街感のある路地を歩く。ディープと言われてしまいそうだけど、どちらかというと本来の横浜はこちらで、みなとみらいのような空間の方が新しくできたイメージなのだろう。勝手な見解だけど、路上喫煙者の割合が高い気がした。それもまた、土地の空気感のような気がする。

なんやかんや関内駅前まで来て、タリーズカフェで仕事したり。横の席が、喪服姿の二人の女性。そこまで暗い雰囲気もなく、スマホをいじりながら世間話をしている。読書でもしたかったけれど、メール作業をしていたら、いつの間にかぎりぎりの時間。

会場である神奈川県立青少年センターへ。また、坂道を上り上の方へ。隣にとてもきれいな建物があり、ガラス張りで中が見えて、本を読んだり、パソコン作業をしている人がたくさんいる。綺麗なカフェかと思ったら、図書館だった。ここに来ればよかった。

それから、演劇ユニットせのび。『夏に冬は思い出せない』。冬忘れという、冬のできごとだけ忘れてしまう症状が日本中に蔓延する世界。その中で、忘れることに肯定的な人や、否定したい人、自分は忘れる症状がでないことを気にする人たちがでてきて、日々のやりとりなどが重層的に描かれる。ここ最近、自分の中で、時間は、過去ー今ー未来と一直線ではなく、一つの塊のような感じであることを、改めて考えていた矢先、この作品のように、時間を縦横無尽に横断して、断片のできごとを紡いでいくことは、過去も、今も、未来のことも、この舞台上で一緒くたで、舞台上で語られることで、どの時間軸も、今の出来事としてまるっと存在していて、ああ、これって、舞台だからこそのものだなと、実感しながら観ていた。一つの塊のように時間というものが存在することを、自分がすんなり受け入れられるのは、舞台に触れる機会が多いからなのかもしれない。

物語は、東北の冬ということで、3.11のことにも触れながら、クライマックスへと続いていく。徐々に流れる音楽も高まっていき、クライマックスに向けて進んでいく場面は、胸がつまりそうな気持になる。僕も物覚えが良い方でないので、きっとこの舞台の詳細は忘れてしまうと思う。だけど、この日、この舞台を観た時に感じた、人が忘れていく存在であること、それでも生きていくことの、そのなんというか、忘れる、ということで心が動いた、その揺れのような感情は忘れないと思う。

とても素晴らしい劇団を知ることができた。

帰路。夕方、観劇終わりに横浜はやや雨は降っていて、洗濯ものをベランダに干して来たことに戦々恐々だったものの、地元は雨が降った形跡は無く、ホッとする。やや涼しい夜。日中暑くても、夜が涼しいと過ごしやすい。