東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『和歌山〜新大阪〜京都』

■1日(土)。朝も早よから新幹線。天気もよく快適な気分。静岡の手前辺りで、なんとなくうつらうつらして、はたと気がついたらもう新大阪についていた。のぞみ、速いよ。

新大阪から在来線に乗り換えて、大阪に行き、そこからさらに天王寺まで。御堂筋線という地下鉄に乗った方が早く行けるらしいが、すべてJRで移動。いそぐ旅でもない、というのは言い訳で乗換がよく判らなかった。

天王寺からさらに乗り換えて和歌山を目指す。関西空港あたりまで電車で進む。関西空港は大阪の中心地から考えると遠い印象。東京から羽田までと考えるとずいぶん違う。でも、新宿や渋谷から羽田という括りで考えると同じくらいなのか。まぁ、東京のことと比較検討する必要はまったくないのだけど。

和歌山に着いてから気付いたけど、関西空港は、和歌山市内の人には近くて便利、のような気がする。和歌山の駅は、ここが県名の冠する駅なのかと思うほど、のどか。個人的な印象では佐賀を思い出す。

和歌山から貴志川線というこれまたのんびりした線に乗り換えて終点貴志駅へ向かう。貴志駅は、猫が駅長をしている。無人駅なのに。その猫目当てで訪れる人も多いらしい。それいったら僕なぞ東京から来てる始末。残念なことに観に行ったときは、置物かというくらい微動だにせず爆睡をしていた。それはそれでかわいかった。この猫、よく帽子を嫌がらないなぁと思う。



あと、これはその駅に貼ってあった貼紙。そりゃそうだなと思う。


■再び和歌山に戻り、そこから『くろしお』という特急に乗る。紀伊半島の海沿いをぐるっとまわる特急。しばらく走っていると、海が見えてくる。海岸間際。それなのに反対側の窓の外は山が見えている。山と海に挟まれた街を電車は進む。

僕から見て斜め後方くらいの席に、やけに大きな身体をした男がどしりと座っていた。少し肌寒くなってきていたのに半袖のTシャツに短パン。窓に肘をついて、片足をシートに乗せて窓の外をみている。隣には女性。男が40代くらいに見えるが、女性はもう少し若い印象。
男は結構な頻度で、しきりに「ああ」という不思議な声をあげる。かなり大きな声で、車内に響く。気になってそちらに目線を向けると、ぎろりと睨まれてしまい、慌てて窓の外を見るふりをする。山が近い。山肌にはミカンの木がたくさん植わっている。
その男がトイレに向かうと、男のシートの前に座っていた50代くらいの中年の女性が後ろを振り向き、男の隣に座っている若く見える女性に「あれ、どうしたの?」と聞く。女は「仕方ないの。治らないんだから」とめんどくさそうに小声で告げる。そのトーンからこの2人は身内で、若い女性と大きな男は夫婦関係ではないかと思われたが、ならば、どうして男が席を外した隙を見計らうように2人で話しをするのかが気になった。男がトイレから戻る前に2人は会話を止めて、そこには何もなかったかのように振る舞う。男は席に戻ると相変わらず「ああ」と声を発する。聞き様によっては確かにどこか胸を煩っているからこそでる声のように感じる。巨大な男と、若く見える女と、その身内と思われる中年の女性は、紀伊勝浦の駅で一緒に降りていった。

和歌山から特急に乗ったのは16時過ぎ。18時を過ぎるとあたりはすっかり暗くなっていた。窓の外は灯り一つない。車内が明るいせいもあるけれど、目を凝らして窓の外を見てもまったく何も見えない。海が目の前にある。飲み込まれそうな闇がそこにある。


■終点の新宮に着いたのは19時過ぎ。駅前は居酒屋が少しあるが、決して賑わっている風ではなく、タクシーも駅前に停まっているが、乗り込む客もいなかった。静かだった。まだそれほど遅いわけではないのに人が少ない。足音さえ気にしなくては歩けないほどの静けさがある。この土地の夜の姿がある。なぜか妙に気になったのは、駅前にあった東京行きの長距離バス乗り場。出発時刻を過ぎたバス乗り場は、人気も無く伽藍としている。看板だけがライトに照らされてそこだけがやけに際立っている。かなりの時間がかかるとはいえ、そこは東京とつながる場所。人がここから東京へ向かいもするし、新宮に入りもする。夜行バスならば、夜に出て翌日の朝には東京に到着するように運行するのだろう。新宮の、この暗く静かな夜を越えて、東京の朝を迎える人は、何を思って東京にたつのだろう。そんなことを思う。



翌日は、ひたすら新宮の街を歩いた。気になった場所では8mmを回してみた。決して特別な街ではなく、新宮はごくごく普通の街としてあったと思う。ただ、山と海に挟まれるようにしてあるその街の、路地の奥には、男がいて、女がいて、だからこそ生じる物語があるのだと思う。中上健次はそこにいた。


■その日うちに新宮を後にして、ふたたび特急くろしおに乗って新大阪へ。22時という遅い時間からだけど、久しぶりに友人のYしゃんに会う。遅い時間になったのは、そもそもこちらのアレなのだけど、そのうえ少しだけでも大阪の気分を味わいたいとお好み焼き屋に行きたいとわがままを言ってみる。それで梅田のお好み焼き屋へ。会社員として属さずフリーとして働く大変さなどいろいろ聞く。話しに夢中でいつの間にか僕が泊まるホテルまで行く終電が終わっていた。どうしようかと思ったけど、Yしゃんの家の近くまではまだ電車で帰れたのでそこまで行って、そこからYしゃんの車で送ってもらった。途中でファミレスでさらにだべる。素敵な報告も聞きつつ、楽しい夜。3時頃にホテルに戻り爆睡。


■翌日は、新大阪から京都へ。えらく飛ばす快速で25分。つくづく思うが、大阪〜京都、でもって神戸など、その土地土地で毛色の異なる街がこれほどの近距離で結ばれているのは素晴らしいなぁと思う。前2日が、ある程度自由度高くフラフラぶらついていたので、京都では定期観光バスなるものに乗る。はとバスのようなもの。高雄という京都の端の方へ行く。それはそれでためになるような話しも聞けるし、美味しい弁当を食べれたからアレだけど、やはりフラフラと適当に歩く悦びもあるので、そこは難しい。それはそうと、僕は高山寺という寺で見た鳥獣戯画にすっかり魅了されてしまった。動物を擬人化させた画期的な画として、歴史的にも貴重なものなのだとは思うが、そういった重要性はさておいて、なにやらふざけた感じの画は、ただそれだけで魅力的だ。



この画の、カエルはどうかんがえてもウサギの耳を齧る反則行為をかましているし、この画などカエルが死んでるぜよ。タイトルも『横死』。ズバリ。



夜は、京都駅ビルの中でご飯を食べる。駅に隣接している伊勢丹ビルはとてつもなくでかい。ついつい見とれてしまった。京都タワーも、この駅ビルも、僕はなんだか好きだ。というわけで、和歌山〜新大阪〜京都と充実の3連休でした。