東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ぼくさんと呼ばれて』

午後から天気が悪くなるとラジオで言っていたので、午前中に娘子と散歩へ。


いつもは行かない少し遠い公園にいったら、6歳の女の子と男の子にやけに気に入られてしまい、遊ぼう遊ぼうとせがまれる、僕が。


で、「名前なんていうの?」と聞かれ「僕?」と聞き返したら、「ぼくさん?変な名前ー」と言われ、以後、呼び名が「ぼくさん」になり、それを連呼され、滑り台に引っ張っていかれ、戦いごっこで腹や足を蹴られ、抱きつかれ、ポケットに手を突っ込まれ、「ぼくさん、鍵だー」やら「ぼくさん、20円はいってるー」やら言われ、最終的には娘子までもが「ぼくさーん」と僕のことを呼んでいた。


かわいい子どもたちだ。そして元気だ。4月から小学生だという。もうすぐだ。公園は梅が少し咲いていた。桜はまだまだ。


実は、娘子が生まれる前。子どもの名前を考えている時、男の子ならば『ボク』にしたいと提案して、嫁氏から断固とした拒否を受けていた。で、友人たちにも聞いてみたが「ボクは、ひどい」と酷評された。個人的にはすごくかわいい名前だと思うのだけど、いろいろ違うようだ。そんな『ボク』の称号をよもや自分が授かるとは。ほんと、世の中よくわからぬ。


木村紺さんの『神戸在住』を全巻読み返してしまった。改めて雑誌掲載年を確認してみると98年。で、作中の設定も98年時に大学2回生ということで、場所は違えど僕自身の大学時代とまるっきり年代がかぶっているというのも好きな一つだと思う。


あの当時、まだ携帯電話は学生には普及しきれておらず、僕なんかも実家に電話をかけるのは公衆電話だった。学生同士で手伝いをすると、お礼が500円のテレホンカードで、これが結構重宝していた。サークル活動で、ポケベルを持っていたこともあった。4年生の頃になると、携帯電話が結構普及していて、僕は学生寮に住んでいたのだけど、学生寮に電話がかかることがほとんど無くなった。


授業も部活動も、なんにせよ人との出会いつながりがやはり大学生活で一番得れたものだと思う。そのヨロコビの記憶を『神戸在住』は蘇らせてくれる。


で、作者である木村紺さんは果たしておいくつなのだろう。『神戸在住』は、その当時(98年から2000年ごろ)の空気がすごくある。そして、大学生活の些細な描写がすごくあって、本当に学生でないと描けないような印象を多々受ける。そして人物設定などが創作というよりも、実在の関係を参考にしているような細かさを見受ける。多少のズレはあっても大学卒業前後で、月刊誌に漫画を描いていたのだろうか。それはそれですごい。


で、まぁ、その後の作品『からん』「巨娘』と、3作どれも表現手法が似ているようで異なっており、同じ作者でしか描けない表現もあるのだけど、どれもがまったく別物という驚くべき懐の深さ。