東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

坂本龍一さんのインタビュー記事

YAHOO!の音楽コーナーで坂本龍一さんのインタビュー記事が載っていた。

僕は坂本龍一さんの音楽が大好きだ。「1998」というアルバムを最初に聞いたときの印象は強烈だった。僕はある曲を思い出すとき、どうしても曲単体ではなく、聴いていた状況とセットで思い出す。「1998」をよく聞いていたのは学生の頃の車の中だ。

寒い帯広のひっそりとした郊外の夜の道を一人で走っているとき、よく聞いていた。あたりは誰もいない。ライトに照らされた部分だけが、視界に浮き出て、車のスピードで僕の後ろの方へ消えていく。光に照らされた部分だけ、雪が降っているのが分かる。まるでこの車にだけ雪がふっているんじゃないかと錯覚する。遠くにわずかにある民家の明かりがみえ、だけどそこから遠く離れて、僕は世界にたった一人取り残された気になる。

そういう中で僕は坂本龍一さんの曲を聞いていた。だからよきにせよ悪気にせよ、僕の中の坂本龍一とはそういう、空気が凍っているような、するどい痛みを内に秘めているイメージが伴う。

今でもそんな気にさせる。特にアルバム「COMICA」はただ事じゃない。
こんなにも、ある意味暴力的に聞き手を置いてけぼりにしてしまうアルバムも無いんじゃないかと思う。だけど、だからこそすごく好きだ。

このアルバムを聞きながら、僕はいろんなことから置いてきぼりをくって、世界で一人ぼっちの感覚を味わったりする。

坂本龍一さんのインタビュー記事はやはり刺激的だ。この人の考え方は、自分の考えを押し付けることもしないし、かといって、弱い思想じゃない。前方から迫ってくるあらゆるものに、真摯に向かっている。WEBサイトも頻繁に更新されている。いつでも自分の考えを世界に向けて発信している。ニューヨークに住んでいるから、当然9・11にも反応している。ネット上で、ブッシュを名指しで批判していたりする。いや、批判することがかっこいいとかではなく、どこかで見ていてくれる人に向かって、自分の考えをいつでも手にとって分かるように発信している姿勢。柔軟に発展を受け入れて活用していく、そういう生き方にも感銘をうける。

インタビュー記事は、音楽に興味が無い人にも面白い。僕は特にここが面白かった。

『話がズレますが、日本と呼ばれる列島に大和族はどこから来たのか……。彼らが持っていた言葉は独特だったんですよ。語尾に「る」をつける。「走る」「祭る」とか、「る」が付くっていうのはどうも大和族が言葉らしいんです。これがとても便利で生き残っていて、いまだにわれわれは使っている。外来語であっても「る」を付けるだけで動詞として使えてしまうという。「コンビニる」とかね。そんな研究をしている人がいます。こういったことに興味があります。』

いろんなことを考える人だよ。そういえば高校生の頃、学校の近くに肥田商店というお菓子屋があって、僕達はそこに行って買い物することを「ヒダる」と言っていた。これはどの学年でもだれでも使っていた。考えてみれば、背ない範囲とはいえ、こういう共通言語がすんなり受け入れられているところにも、「る」に対する大和民族の柔軟性があるのではないのか。

他にも、刺激を受けるお話満載だった。
それにしても、こういうのをいとも簡単に見られるし、まったくネットってやつは、本当に便利だ。