東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

凹むのは終わり

昨日、あんなにテンションが下がった原因が、その日の夜に解消した。そうなれば、凹むのは終わり。簡単だ。自分の構造の簡単さに、我ながら呆れる。精神を病むなんてないな。まして悩んで眠れないなんてない。夜になれば眠いんだ。

昨日、会社帰りに、気分転換にと本屋で物色。
すると以前から気になっていたが、どこにも無かった漫画「少年少女」作福島聡エンターブレイン社)を発見。第1巻を購入。帰りの電車の中で一気に読む。

面白かった。全7話の短編。そのそれぞれが少年少女が主人公というだけで、切り口がまったく異なっている。昭和初期という時代設定の話や第2次戦後まもないころの時代の話など、設定は昔だが、その思考や見せ方は今に通じているものがあると思える。

黒田硫黄やよしもとよしもとなどの作家陣と同じ流れの中にいる漫画家か。
また別のところには内田春菊以降、岡崎京子南Q太、など女性漫画家が書く物語の流れがある。しかし彼らの書く漫画は、どこか共通しているところがあると思える。以前引用した言葉を使えば「リアル(=切羽詰ったことがない)がないというリアル」を切り取っているような。だからこそ、彼らによって描かれる主人公達は、繰り返される日常のなかで、もっと個人的なことに突き詰められていき、しかしどうしよもなく繰り返される日々に埋没されていく。その中で溺れないように浮かんでいる。

「少年少女」の1編で登場する少女は、ひどく駄目な生活をしている。だけどその駄目の行き着く先までいったら、あとは上れると、上るだけだと信じて、どうしよもない日々を送っている。そんな少女が言う台詞「私はこうやってゆっくり死んでいってるんだ」。しかしそう発しいる彼女自身なす術がないことを理解している。『毎日』が容赦なく津波のように繰り返される。あと僕が好きだった話は『自動車、天空へ』という話だ。

いい漫画をよんでテンションあがった。
そしたら夜に去年の8月に一緒に僕が作った『月を見に行く』という芝居をしたFさんから電話があった。
FさんはMさんと飲んでいた。Mさんはその8月の芝居を見に来てくれていたのだ。そしてこれはすごい偶然なんだけど、この前の宮沢章夫さんの劇団遊園地再生事業団のオーディションに、そのMさんも参加していたのだ。その時僕を見たMさんが、僕のことを覚えていてくれて声をかけてくれた。僕はといえば、見に来てくれていたとはいえ、知らない人だったのでドギマギしてしまい、すこし会話を交わしただけで終わってしまったが、昨日、FさんとMさんが飲んでいたとき、僕の話題がでたそうだ。

Mさんは僕にMさんが作っている芝居に出て欲しいと言ってくれた。ありがたいことだ。まだMさんの台本は書き終わっていないし、芝居をする予定もないという。やれても来年以降らしいのだけど、そのときは是非一緒にと声をかけてくれたのだ。まぁ酒を飲んでいた勢いもあるのだろうけど、とてもうれしいことだ。偶然芝居を見てくれていた。オーディションで一緒になった。そういう偶然で、Mさんが僕を覚えていてくれたことに、何か物事のつながりを感じずにはいられない。

何かアクションをおこせば、そこからいろいろな連鎖が起こる。そして放射状に広がっていく。そんな感じだ。まだこの放射状の範囲は狭い。どんどん広がっていけるように僕もがんばらないといけない。

そんなこんなで、昨日の憂鬱はなくなりました。元気出していきます。