東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『待つ』

というわけで、日曜出勤だ。
平日じゃないと、特に仕事も無い。緊急対応に備えるために『待つ』ことが仕事だ。

考えてみたら『待つ』ことで成立する仕事というのは、なんというか非常に生産性がない。今、日本中に存在する職種の中でも『待つ』ことが仕事になっているものというのは、存在しないのではないだろうか。

消防士を除いて。消防士は『待つ』が仕事だとおもう。警察は違う。あれは起きた出来事(事件)を整理し、解決していく仕事だ。つまり『事後』の仕事だ。医者もそうだ。発病した病気を直す仕事だ。まぁ今は予防医療もあるんだろうけど。でも消防士は別だ。『待つ』ことが仕事で、『事』が起きたら、事後に動くのではない。まさに最中にそれを止めることが仕事だ。

最近のビジネスは売り手から買い手にどんどんアプローチをしていく仕事が多い。つまり供給をどんどん提供していく。それとはまったく逆に需要する側から供給側にベクトルが向いているのが、医者や葬儀屋とかか。

そういう中で、微妙な位置にいるのが消防士な気がする。彼らは『待つ』ことが仕事でありながら、事件が起こるとそれを止めることが仕事になる。

これは国の保護がないとお金が生まれない。だから江戸時代とかは自警団で、その町を守っていた。いわばボランティア。それがやがて国や町の保護の下に、公務員となった。

竹中直人の作品で「119」という火災事件がここ30年くらい起きてない町の消防士の物語がある。火事が起きないと彼らの仕事はない。無いけど、彼らは僕達のために『いつか』火事になる日を警戒して待っている。ただ待っている。

消防士は待つことが仕事になる。でもこの前引用した「ライ麦畑でつかまえて」のホールデン少年がやりたいことはきっと仕事にはならない。ただ崖から落ちそうな少年を見つめていてはお金にならないから。

だけどだからって、それはホールデン少年がやろうとしていることは無駄なことだろうか。無駄と無駄じゃないことの区別はいったいどこでつけるべきなのか。お金を生むか生まないかか。

なんだか今日は何にもやる気がしない。
昨日はティム・バートンの「ビッグフィッシュ」を見た。よかった。
だけど今日は何もやる気がしない。

やんなきゃならんことは多いんだけど。
ただ『待っていた』一日だ。何を『待っている』のかも分からなくなってきた。でもとりあえず、何かを『待っていた』。それでお金になるから。
お金になってしまうから。

なんだか無気力な自分に腹が立つけど、怒る元気もない。
なんだか駄目な一日だ。