東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

8月6日とその前に夜の話

昨日、ヤフーブリーフケースについて書いていたら、早速夜にA管理人が電話をくれた。それによるとヤフーIDは、持っても何も障害はないとのこと。あといろいろアドバイスなどしてくれた。ありがたいことです。今度見てみます。

夜に9月の展覧会のことでIさんと有楽町で待ち合わせ。夜7時でも暑い。ちょっと前に読んだ本によると、東京の大手町などが39℃という尋常じゃない気温になった原因に、汐留などの臨海地域にビルが乱立してしまったために、風が通らなくなってしまったということがあるらしい。まぁ他にも原因はあるのだろうけど、そういうことで温度は上がるものなんだな。東京の街の暑さは、アスファルトの持っている熱が浮かび上がってくるような、嫌な暑さがある。かといってアスファルトやビルを壊すことは無理。そういうものと生きていくことを宿命付けられた街になってしまっている。

Iさんと展覧会の招待はがきの文面やロゴについて話す。とはいっても僕は展覧会自体リーディングでしか参加しないので、Iさんが作った諸々をみて、すこし意見を言うだけ。Iさんはデザイナーだ。そういう仕事もしているので、プロといえる。一つのモノをいろいろなデザインで作ってきて、そのアイデアを見せてくれる。僕はそういうものは全然作れないのでただただ感心してしまう。Iさんはデザインを作るとき、まずはノートに手書きで書いてから、パソコンで作るそうだ。最初からパソコンで作ると、なんだかおかしなことになるらしい。そういうことってなんとなく分かる。僕も台本を書くときは、まずノートにペンで書いていた。そういう感じで書いてるほうが、なんとなく生まれてくるものがある気がするからで、あと、書くときは自分の部屋よりどこか外のお店の方がなんとなく落ち着くからで、外にパソコンを持ち込めないということもある。それからパソコンで打ち直すんだけど、手書きとパソコンとでまたなんとなく感覚が変わる。それはパソコンの方が整然としているからで、自分で書いたものをすこし離れた距離から冷めた温度で見れるからじゃないかなとも考える。それはそれでまた推敲のために必要になる。なんにせよ、今はパソコンは必要不可欠なものだ。

Iさんに、僕が書いている台本を、まだ途中だけどとりあえず渡した。気になることがあったらいろいろ教えて欲しい。もちろんまだまだ書き始めだから、これからもっと変えていく。いいものが書きたい。その後はIさんといろいろしゃべった。Iさんは他にも、自分でバンドを持っていて、曲も作っている。いくつか詩を見せてもらった。それから日本語について少し話した。英語との違いとか、日本語で詩を書くことについてとか。日本語ってとてもいい言葉なんだなぁと漠然と思う。あとスピッツ草野正宗はすごいとか話した。草野正宗さんは本当にすごいなぁとおもう。以前、スピッツの曲は日本人のツボを知っていると大学の先輩が言っていたけど本当にそのとおりだと思う。そんなことをいろいろしゃべった。

今日は8月6日だ。そのことを思い出したのは10時ごろ。なにも考えずに通勤していた。ネットでニュースを開くと、59年目の夏といった感じで記事が載っていた。59年。とても長い時間だ。すでに被爆者の方の平均年齢は70歳を超えているそうだ。こうやってだんだんと時間は過ぎていくのだろうか。そういえば岡山で働いている友達からも、今日はそういう日だなというメールが来た。ふと思ったのは、やはり岡山とかだと、関東に比べて広島などと近い分、なにかやはりいろいろとこの日を迎えるに当たって、感じが違うのかもしれないということで、そういうことがあるのかとメールしたら、そんなことはないらしい。ただニュースで知ったそうだ。なんだか力が抜けた。テレビではいつもと変わらず『笑っていいとも!』がやっている。笑っていいらしい。客もタモリも笑っている。59年。確かに感傷に浸るには長い時間が過ぎているし、何より僕もまだ何も知らない。