東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

週末

と、いうわけで夜勤。
最近、夜勤の日はいつもこの書き出して、これはどうしたものかと思うものの、夜勤なのだから仕方がないと割り切った。

少し、週末のことをまとめて。

8月28日(土)。
仕事が終わってから川崎の劇場でやっている知り合いの芝居を見に行く。埼玉に住んでいる僕にとって、神奈川は遠い世界。確かに日常生活で多摩川を越えることは滅多にない。神奈川は東京に比べても、なんだか雰囲気が違う。夜7時からのお芝居だったので、夜6時に仕事が終わって間に合うか不安だったけれども、意外と間に合った。思っていたより、近かった。それはそれで不思議な感じがする。観劇後、一緒に芝居を見に来たH君とT君と少し飲む。芝居に出ていたT君とこの2人は某有名企業に勤めている。話を聞くと仕事も大変そうで、それなのに芝居を続けているT君はすごいなと思う。

僕の周りの人たちは、まぁ僕も含めてフリーターをしながら芝居を続けている人が多い。それはもちろん正社員で働くと、芝居をする時間を取れなくなるからであるが、これはやはりある側面からしてみたら、言い分けだ。やりようはいくらでもある。だから、フリーターで「正社員で働くことなんて嫌だ」みたいなことを言うやつは嫌いだ。別に正社員になって芝居をしろとはいないけど、そういう人は、正社員といった立場で働く厳しさを知らない輩が多い。そういうやつに限って芝居もどうしよもないものを作る。フリーターでやるならば、それなりの厳しさがある。それを知っておかねばならない。まぁ、そういう感じでも面白い芝居を作れるかといったらそうでもないけど。悔しいけど才能だけがいいものを作る世界らしい。

そんなことをいろいろ思ったのは、この日、電車で川崎へ向かうときに、たまたま後輩のHから就職が決まったというメールを貰ったからで、それは本当にいいことで、新しい場所でがんばって欲しい。

8月29日(日)
リーディングの役者さんの件で、ついに我慢しきれずにメールをした。以前も少し書いたけど、保留になっていた役者さんは、ある劇団のオーディションの結果待ちをしていて、その結果次第で参加してもらえる予定で、8月中に返事をくれるところだったのだけれども、待つことに限界が来てしまった。オーディションの結果待ちというとてもナーバスな状態の方に催促のようなメールをしてしまい、大変申し訳ないとは思うものの、何せもう時間が無くて、駄目だった。まだ結果が来ていないとの返事を貰う。どうしたものかと思
いながら一日を過ごす。

8月30日(月)
夜7時にリーディングに参加してくれるFさんとHさんと新宿で会う。スケジュールの調整や、具体的な内容について話し合うためだ。結局台本は2/3ほどしかできなかった。本来ならば完成させて渡したかったのだけれども、できなかった。FさんもHさんもそれぞれ他の劇団で芝居をしており、それなりの規模で芝居を作っている方に、小さなギャラリーで、しかもリーディング劇という非常にチマチマしたものに参加していただくことになんとなく恐縮していたのだけれども、2人とも「楽しそうでいいですよ」と言ってくれてとてもうれしかった。

で、オーディションの結果待ちをしていたMさんから「参加できます」というメールが来たのは昼間だった。こちらとしてはうれしいけれども、やはり素直には喜べない。それでもやっていただけることは本当に有難かった。もう一人の役者さんKさんもいれて、ついに役者さん4人が決まった。まさにギリギリだった。一時は僕が出演するしかないと考えていたが、なんとなった。

今回出演してもらえる4人には、まず心から感謝したい。さっきも書いたけど、今回の公演は非常に小さい。なにかのステップアップになどならない。それでも時間を割いて参加してくれた。いい作品を一緒に作って行きたい。3週間というとても短い時間のチームではあるけれども、なにか一つでもこの公演に参加して得るものがあればいい。そのためにはいいものを作るしかない。9月1日(水)。明日が稽古初日だ。4人と僕とが一同に集まる。全員、それぞれ初めて会うところから、完成した作品を作り上げるまで、わずか3週間しかないのだ。ここからは死に物狂いだ。

8月31日(火)
つまり今日。快晴。暑さがぶり返してきた。ちょっと前の20℃というのが嘘のよう。稽古場を確保してくれたFさんから申請に必要なカードをもらうために、表参道へ行く。Fさんが仕事の合間を縫って渡してくれるからだ。忙しい最中、稽古場を確保するために余計な仕事をさせてしまった。本当に申し訳ない。Fさんは申請カードを渡してくれたら、すぐに次の仕事場へ向かった。働く男だった。

で、僕はずいぶん時間が空いてしまったので、ふと気になっていた青山墓地のあたりまで歩くことにした。表参道駅から、青山通りを越えて歩いていくと、急に閑静な住宅街になる。そこに高級そうなお店や、えらく立派なマンションが並んでいる。その辺を走っている車はどれも高級車。なんとも場違いなところを歩いてしまっている。そうやってすこし歩くと青山墓地がある。日本の中でも指折りの一等地に突如出現するお墓。お墓越しに見える高級マンション、そして六本木ヒルズ。だけど不思議と違和感がない。これはなんなんだろうか。

以前週刊現代誌で連載されている中沢新一さんの「アースダイバー」という連載に墓地とデザイナーの話が書いてあって、まさに青山墓地と周辺に住むデザイナーとの関係について書いてあった。それによるとデザイナーが多く住む場所はお墓の近くにあるらしい。なぜか。かつて、縄文時代とかそのあたりに、死者を弔う際に、とても派手な衣装で、その最後を看取る風習があったそうだ。その際に、派手な衣装を作る人がいて、つまりその人は常に死者と身近な生活をして、衣装をつくっていたそうだ。死と生の両方が存在する空間にデザイナー、つまり芸術を志すものは存在した。生だけでもなく、死だけでもない。両方があってこの世は成り立っている。芸術は、それを常に意識していなくてはいけないのではないだろうか。桜の美しさは、地下の僕達には見えないところでの生命の生きようとする力が存在するからこそ出現する。物事はそういった両端に存在するものの地平に出現する。大都市、それこそ日本の中心に突如出現する死の集まる場所。それが世界だ。六本木ヒルズと墓地が同じ空間に存在する世界。それも東京の持つ魅力だ。

そういえば今日で8月が終わる。学生の頃の方が、暦に対して敏感だった。8月が過ぎると学校が始まり、12月の24日がくれば冬休みだった。3月は別れの季節で4月は出会いの季節。もっと細かく言えば、僕達は土曜日を心待ちにして、日曜の夕方には月曜のことを考えて憂鬱になっていた。今の僕には8月の31日はそれほど重要ではなくなった。でも今年は違う。9月1日は僕にとってはとても重要な日だ。なんだか台風の多い月だった。直接の被害を受けずのうのうと過ごした僕には知らない世界があるけれども、自分勝手なことを言わせて貰えば、今日という日が快晴で本当によかった。久々に真夏日だったし。今日で8月が終わる。明日から真夏日が続いても、きっともう夏は終わった。だけど9月はきっともっといい季節だ。