東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

打ち上げに参加

昨日、仕事が終わった後に、再びミヤコハンターの公演が行われている中野へ向かう。と、いうのも今日が公演最終日でバラシの作業があり、再びトラックの運転を依頼されていたから。仕事後なので7時半ごろに着きます、と舞台監督のYさんに言っていたと思ったけど、7時半に着いたら「早いですね」と言われた。トラックも8時半から借りていたらしく、まだ時間があった。と、いうわけでバラシに参加。

バラシ作業は文字通り、舞台装置の解体だ。さながら工事現場。舞台として立てたパネルを解体し、平台という木製の舞台を取り外し、照明を降ろし、音響や映像を使う為の機器を片付ける。トンカチで釘を抜く。ネジをインパクトという機械で取る。暗幕をたたむ。怒涛のような作業だ。大学時代も、芝居の度にバラシを行っていたけれど、規模が違う。20人以上の人々がそれぞれの作業をこなしても、結局3時間以上かかっていた。こういう作業のすべての指揮をとるのが舞台監督だ。芝居を作るうえで、必要なのは作家、そして演出家だけれども、小屋入りしてからのボスは舞台監督になる。演出家や主催者の要望を聞いて、劇場でのすべてのスケジュールを決めるのも舞台監督。大学の頃は規模が小さかったから、舞台監督を置かないで芝居を作っていたけれど、スタッフが外注になり、小屋をきちんと借りて芝居をするようになるとどうしたって舞台監督は必要になる。

それにしても大変な仕事だ。スタッフさんがいてこそ芝居が成り立つことを仕込みとバラシは再認識させてくれる。もちろんその他に、例えば今回で言うと僕みたいなボランティアで手伝う人たちも数多く関わってくる。ひとつの芝居を作るのに、本当に多くの人が関わっている。

そういえば、バラシの手伝いで、以前見に行った徒花団という劇団の芝居に出ていたTさんが来ており、僕に「中上健次さんって作家さん?」と聞いてきた。僕は芝居を見た後にアンケートを書かないことが多いんだけれども、徒花団を見たとき、なんとなくこの作品を書いた作家の人は中上健次さんが好きなんじゃないかなと思い、アンケートに芝居のことは触れずに、中上健次さんみたいな感じでした、とだけ書いてみた。そのアンケートを見たその劇団の作家さんが、そう書かれてあったことがとてもうれしかったらしく、反応していたのをTさんが見ていたそうだ。だけどTさんは中上健次さんを知らなかったので聞いてきたという次第。やはりな、と少しうれしくなった。自分が見ていて、面白いと思ったものが、いろんなところでつながって来ると、それもまた嬉しい。まぁ、もちろん似ているからなんだというわけではないんだけれども。全然関係ないけれど、宇多田ヒカルも、所属している事務所の公式プロフィールの好きな本の項に中上健次さんの「枯木灘」を挙げていた。ピンとこないところもあるけれど、本人が好きだと言っているんだから、好きなんだろう。

結局、トラックで中野〜新宿〜早稲田〜調布と走り、全てが片付いたのは2時過ぎだった。もちろん電車は走ってないので、高田馬場で打ち上げをしているお店へ向かう。バラシの時に、役者の方々はずいぶん疲れていたみたいだったので、もう落ち着いているのかと思いきや、意外とみんな元気だった。やはり全てが一段落つくと、また変わるものなのかもしれない。少しだけ一緒にやっていた人たちや、客演で来ていた役者さんと話す。エンブという演劇学校に行っていると、意外なところで繋がりがあり、客演で来ていた方も、実は入学年度は違ってもエンブ出身で、後輩に当たる人もいた。僕が3月に出ていた芝居を見ていた人もいた。演劇の世界だと、本当にそういうことが多い。

そうして朝の5時ごろになり、僕は一足先に打ち上げ会場から出た。それはもちろん仕事があるからで、もう帰っている暇はないので、会社に向かい、少しだけ仮眠を取って今、仕事をしている。まぁその傍らでこの日記を書いている。仮眠をいくらか取れたおかげで、それほどしんどい感じはないけれど、やはりちょっときつい。今月は火曜と水曜が休みなので、今日働いてしまえば、とりあえずゆっくりできるのでありがたいけれども。僕の他にも、ミヤコハンターの役者Kちゃんや主宰のAさんも今日仕事だ。みんな働きながら芝居をやっている。昨日も書いたけれども、やはり同年代の人たちの芝居を見ると刺激になる。僕もいろいろやっていかなければと思う。そういえばタダ働きのお礼に、7月にミヤコハンターがやっていたインターネット公演をDVDに焼いたディスクをもらった。僕が出演しているやつもあるし、うれしかった。ありがとうございます。とりあえず、またひとつ芝居が行われ、それが終わった。